松沢哲郎

150年の時を想う

2017年2月12日付愛媛新聞(掲載許可番号:G20180201-03549)

椿まつりの週末に松山を訪れた。市の医師会が主催した講演会である。2年前は愛媛大の講演で来た。来ると二つのことをする。温泉と墓参りである。

十年の汗を道後の 温泉 に洗へ 子規

友人の夏目漱石はこの湯で泳いだという。確かに湯船が深い。温泉を出てそぞろ歩くと子規記念博物館がある。等身大の正岡子規の写真が出迎えてくれた。「俳句かるた」を題材にした小学生たちの 揮毫きごう が目をひく。

わが家の子どもたちも、幼いころに子規のかるたで遊んだ。「は、春や昔」「け、鶏頭の」「な、夏草や」、俳句が読み札である。十七音は子どもにも覚えやすい。

博物館のすぐ近くの義安寺に父母の入った松澤家の墓がある。父慶一は愛媛師範学校の卒業だ。3年前に亡くなったが生きていれば来年1月で100歳になる。第2次世界大戦の末期に徴兵され陸軍少尉で終わった。その父方の祖父堅一は四阪島の住友に勤めていた。銅の精錬の影響か子どもたちが短命だったので松山に越してきて銀行員になったそうだ。祖父のアルバムが残っていて、第1次世界大戦で大陸に出兵していたことが分かる。曽祖父徳蔵は福田姓だった。明治のころ、長男は徴兵されない時代があり、徴兵を忌避するために遠戚で男子の途絶えた松澤家に入ったそうだ。

母美代子は今の済美高校の卒業である。母方の大野家は四国霊場44番札所の菅生山大宝寺に過去帳があって何代もさかのぼれる。嫁してきた者に正岡の姓もある。伊予と土佐の国境の久万で山城を守っていた。大野家の人々は宴席で、酒が入ったからだろう、「長宗我部は許せん」と口々に言っていた。墓前で手を合わせ、そうしたことを おも った。

道後温泉発の空港行きバスに乗り、京都の自宅まで3時間ほどで着いた。速い、近い。ちょうど孫2人が来ていた。野生チンパンジー研究で年末年始を毎年アフリカで過ごすので、2月になって今年初めて彼らに会った。春に小学校に上がる兄の方は、下の乳切歯がぐらぐらしていた。歯が生え替わる。2歳になったばかりの弟を膝に乗せて絵本の図鑑を見ていたら、「とまと」「りんご」「ばった」と指さしながら次々と名前が出てきて驚かされた。サルの写真は「チンパンジー」と言う。

私が曽祖父を想い孫と接するとき、5世代離れた150年という歳月がある。「三十年一世を為なす」と言い、「世」という字は「三十」という意味だ。

松山は、子規・漱石の生誕150年で盛り上がっていた。1867年は、広くみれば大政奉還の年である。15代将軍徳川慶喜が政権を投げ出した。順を追うと、漱石が生まれ、子規が生まれ、大政が奉還され、そしてその筋書きをつくった坂本龍馬と中岡慎太郎が斬殺された。つまり、ほんの一時期とはいえ、龍馬と子規・漱石は同じ時代に生きていたことにあらためて気が付いた。

現在の日本の姿をつくった歳月を、日本史として見るととともに、わが家の歴史を重ね合わせてみるのも興味深いだろう。そういえば、龍馬は山内土佐藩の郷士なので長宗我部の流れをくむ。世が世なら私と敵味方である。