松沢哲郎

アイの描いたスカーフ

2017年3月19日付愛媛新聞(掲載許可番号:G20180201-03549)

アイと名付けたチンパンジー。彼女をパートナーとした研究をしてきた。1977年11月、推定1歳のときに京都大霊長類研究所にやってきた。今年で40周年になる研究だ。コンピューターにつないだ端末を使って文字や数字を教えてきた。

教え込むだけではない。同じ部屋で遊ぶ場面もある。たとえばお絵描きをする。フェルトペンと紙を与えると、チンパンジーは線を描く。描画と呼ばれる行動だ。重要なことが三つわかった。

第一に、ごほうびがなくて良い。描いたらほめられるとか、食べ物がもらえるわけではない。それでも描く。つまり、描くこと自体が動機になっている。

第二に、具体的な物を描くことはない。リンゴをチンパンジーに見せたとしよう。丸を描かないし、赤い色を選ぶわけでもない。見せた物に似た何かを描くことはしない。一見すると抽象画のような線が描かれる。

第三に、絵には個性がある。アイはのびやかで長い線を描く。パンは短い線を描き足していく。クロエは長い線だけでなく先端を押し当てた点描をまじえる。見慣れてくると、どのチンパンジーが描いた絵かタッチでわかる。

絵本へのいたずらがきも興味深い。最初に与えた絵本は「しろいうさぎとくろいうさぎ」だった。2匹のうさぎが満月を見ている場面を開いてアイにフェルトペンを渡すと、満月だけにチェックした。「こんとあき」の駅のプラットホームの場面では、弁当を買うための人の行列ができている。アイはその各人に丹念にチェックしていった。

「たろうのひっこし」は、見開きページの数でいって19枚の絵がある。そのうちの12枚に犬が、14枚に猫が登場する。犬と猫はほぼ同数が同時に描かれているのだが、犬にチェックしたのは12枚中10枚だった。ところが猫にはまったくチェックしなかった。明らかに避けている。野生チンパンジーの天敵はヒョウとライオンだ。人間がヘビを気味悪がるように、チンパンジーにとってネコ科の動物は特別な存在なのかもしれない。

「類人猿と芸術」と題した展覧会を開催したことがある。チンパンジー、ゴリラ、オランウータンの描いた絵だけを集めて展示した。ココというゴリラや、カンジというボノボなど、世界的に著名な類人猿の絵を入手した。アイが描いた作品との交換だ。

京都大元総長の尾池和夫先生が京都造形芸術大の学長になったとき、アイの絵が欲しいとおっしゃった。アイに描いてもらったら、赤と黒の2色からなる大胆な構図の作品ができた。いまも学長室に飾っていただいている。その絵を基に、40周年記念のスカーフを造形芸大の方々が作ってくださった。1メートル四方ほどの絹製だ。

2月に渡英する機会があり、野生チンパンジー研究の開拓者であるジェーン・グドールさんにこのスカーフを差し上げた。たいへん喜んでくださった。今年83歳、チンパンジーの福祉と保全に生涯をささげてこられた。いわばアイのスカーフは、チンパンジーたちからジェーンさんへの感謝を示すシンボルだと言えるだろう。ホームページ(http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/)で紹介しているのでぜひご覧いただきたい。