松沢哲郎

ポルトガルの野生馬

2017年07月02日付愛媛新聞(掲載許可番号:G20180201-03549)

6月上旬をポルトガルで過ごした。野生の馬の調査である。チンパンジーを研究する霊長類学者がなぜ馬なのか。大きく二つの理由がある。

第一に、哺乳類としての人間の進化を理解したい。ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンというヒト科に属する生き物を比較してきた。ニホンザルやキンシコウというオナガザル科のサルの生態もみて、比較の範囲を霊長類全体に広げた。さらに広げて、哺乳類の中でどう霊長類は進化し、その霊長類の中で人間はどう進化してきたのか。

哺乳類の共通祖先は恐竜が栄えた中生代にさかのぼる。地上性で、夜行性の小動物。いまのネズミのような生き物だ。約6600万年前に、地球規模の大きな気候変動があって、動植物が大量に絶滅した。恐竜が絶滅した後、哺乳類が地球の隅々に適応して姿を変えた。空を飛ぶようになったコウモリ類。水に潜るようになったイルカ・クジラ類。そして、地上でも空でも水中でもない、樹上という特殊な環境に適応したのが霊長類である。その樹上から、再び地上に降りて長距離を歩くようになったのが人間だ。そうした進化のシナリオの原点となる地上性哺乳類の典型として馬を考えた。野生馬の生態研究はほとんど手がついていないからだ。

第二に、馬の心を知りたい。霊長類の研究が進んだ影響で、イルカやゾウやイヌやネコ、さらにはオウムやカラスといった鳥類、トゲウオのような魚類、タコなど無脊椎動物の行動や知性の研究が進んだ。しかし、馬だけはそうした比較認知研究の対象になっていない。競馬というギャンブルで速さだけを競う。乗馬の愛好家は多いが、進め、止まれ、右へ、左へ、跳べと人間が一方的に指示するだけだ。

馬はこの世界をどのように見ているのか、という問いを立てた。2014年初めにまず馬2頭を購入して飼育下の研究を始めた。チンパンジーと同じようにタッチパネルを使うことを同僚の友永雅己さんらと訓練した。驚いたことに、器用に鼻づらでタッチパネルに触れる。数の大小の弁別ができることなどが分かってきた。

野外研究と実験研究を並行して進めている。今回の野外調査は、ポルトガル北部のスペイン国境にあるアルガ山だ。ガラノと呼ぶ野生の馬がいる。同僚の平田聡さんらと調査を行ってきた。そこには野生のオオカミがいて、野生の馬を食べている。なぜ村人がそれを放置するかというと、牛や羊といったより大切な家畜を守るためだ。小型の馬を山に野生で放置することで里の暮らしが守られる。人間とそれ以外の動物の共生するその姿も興味深い。

小型無人機「ドローン」にビデオカメラを搭載し、空から確認した。26群208頭に名前を付けて個体識別した。今回の調査から二つのことが分かった。

一つは1歳児の死亡率の高さだ。昨年生まれた馬の約7割が死んでいた。オオカミに襲われた傷跡の生々しい 仔馬こうま を見た。もうひとつは雌の移籍だ。群れ間でかなり頻繁に移籍している。4人の学生が現地に残って今も調査を続けている。若い人々の地道な努力によって、きっとさらに新しい知見がもたらされるだろう。