松沢哲郎

アイ・プロジェクト40年

2017年08月06日付愛媛新聞(掲載許可番号:G20180201-03549)

チンパンジーのアイをパートナーにした研究を続けている。彼女が霊長類研究所にやってきたのは1977年11月10日なので、今年で40年目になる。

比較認知科学と称する学問である。霊長類学を父として、心理学を母として生まれた新しい研究分野だ。何が分かったのか。成果を3点にまとめてみたい。

第一に、チンパンジーには人間よりも優れた記憶能力があることを発見した。コンピューター利用の認知実験という手法をチンパンジーで確立した成果だ。

コンピューターのモニター画面のでたらめな場所に1~9の数字が出てくる。1を指で触ると2~9の全てが白い四角形に置き換わる。その四角形を、2があったところ、3があったところ、4があったところ…と順番に触れば正解だ。

一瞬見ただけで、どの数字がどこにあるか、若いチンパンジーは記憶できる。見て、わずか0・5秒で最初の1を触る。その速さ、その正確さでできる人間は一人もいない。ぜひ、アイのホームページ(http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/)で確認されたい。

これまで、人間こそが全ての動物の中で最も高い知性をもっていると信じられてきた。だから、チンパンジーが絵を描く、道具を使う、手話で意思を伝えるとしても、そう驚くことはない。しかし、チンパンジーはできるが人間にはできない、彼らのほうが人間より優れているものを初めて見つけた。人間中心的な世界観への決別になった。

第二に、チンパンジーに石器を使う文化があることを発見した。野外実験と呼ぶ手法を確立した成果だ。

西アフリカ・ギニアのボッソウのチンパンジーは一組の石をハンマーと台にして、堅いアブラヤシの種をたたき割って中の核を取り出して食べる。4~5歳になって初めて石器を使えるようになる。そこには「教えない教育・見習う学習」と呼べるチンパンジー流の教育法がある。

親は手本を示すだけだ。放っておいても子は親をまねる。親と同じようにしたいという強い動機づけがある。そして、子からの働きかけを親は寛容に受けとめる。あっちに行きなさいと邪険にしたり、無視したりしない。チンパンジーにも、そうして親から子の世代へと引き継がれる文化的伝統のあることが分かった。

第三は、人間がもつ想像するちからの発見だ。参与観察と呼ぶ手法を確立した成果だ。

研究者と母親の間に長い期間をかけて培った信頼の絆がある。研究者と母親と赤ん坊が同じ部屋で過ごすことで、赤ん坊の成長を毎日、間近に観察できるようになった。赤ん坊が、母親を通じて、研究者にも信頼を寄せるようになる。母子に寄り添う暮らしを通じて子どもの心の発達をみることができた。

その結果、チンパンジーの子どもはヒトの子どもと同様に育っていくことが分かった。違いも見つかった。チンパンジーは、一瞬で数字を記憶することにはたけているが、目の前にない物に思いをはせることが苦手だ。言葉の学習が難しい。言葉と、それが指し示すものの間をつなぐには、想像するちからが必要だからだ。

人間はその進化の過程で、短期的な記憶能力を失い、その代わりに想像するちからや言葉の能力を獲得してきた。そして親子や仲間とともに暮らす中で、思いやり、分かち合い、慈しむ心を育んできた。