Credit: Primate Research Institute, Kyoto University

4月24日,アユムが2歳になった。誕生日を祝福する人々の思いをよそに,当の本人はいたって平常どおり,仲間のクレオやパルと遊びまわっている。 2歳になる少し前,アユムはまたひとつチンパンジーらしくなった。道具を使うようになったのだ。それから少しあとに,アユムより2カ月遅れて生まれたクレオも,同じように道具を使うようになった。一番年少のパルは今のところまだできないが,すぐにアユムやクレオに追いつくだろう。道具を使うのは,チンパンジーに備わった高度な知性の一側面である。

ハチミツなめ初成功

子どもチンパンジーたちが,「ハチミツなめ」のために道具を使うようになる過程を,生後半年の頃からずっと記録してきた。仕掛けはこうだ。勉強部屋の壁は,厚さ1cmの透明な板でできている。この板に,直径5mmの穴をあけてある。穴の向こうにハチミツの入った容器を取り付けておく。チンパンジーは甘いハチミツが大好物だが,穴の向こうのハチミツをなめるには,道具を使わなければならない。道具として使えるものは,あらかじめ勉強部屋の床に散りばめてある。合計20種類のものを用意してあるが,そのうち道具として使えるのは12種類,針金,ゴムチューブ,プラスチック棒など。道具を穴に挿してハチミツに浸し,道具についたハチミツをなめ取る。残りの8種類は,スプーン,ブラシ,プラスチックの袋など。穴に入れることができず,使えない。

おとなのチンパンジーたちは,穴に入る適切な道具を使って,上手にハチミツをなめることができる。複数ある道具のなかでも。チンパンジーによって好みが決まっている。母親のアイやクロエは,決まってゴムチューブかプラスチック棒のどちらかを使う。子どもたちは,母親が道具を使ってハチミツをなめるようすを小さい頃からずっと見てきた。鼻先がくっつくほどの至近距離から,熱心に母親の様子を見る。自分の母親だけではなく,他人の母親の様子を見に行くこともある。アユムがクロエおばさんの様子をじっと見たり,クレオがアイおばさんの様子を見たりする。

そして,2月14日,はじめてアユムが自分で道具を穴に入れて,「ハチミツなめ」に成功した。3月2日,クレオも自分で道具を使ってハチミツをなめるようになった。

口を使ってゴムチュープを穴に入れるクレオ
ゴムチューブを手で穴に入れようとするアユム

際立つ個性の違い

アユムとクレオのやり方には, 2人の個性の違いがはっきりと現れている。クレオは「我が道を行くタイプ」だ。母親が決して使わない道具も穴に入れようとしてみる。穴より大きいスプーンやブラシ,プラスチックの小袋なども手当たり次第に穴に向ける。自分なりに,とりあえず何でも試してみたいのだろう。道具を入れるときには,口を使う。母親のクロエも,そしてアイも,口を使って道具を穴に入れることはない。クレオは,まったく独自に口を使って道具を扱うことを身につけた。

一方のアユムは「忠実,堅実なタイプ」だ。もっぱら,ゴムチューブもしくはプラスチック棒を使う。母親のアイやクロエが使っているのと同じ道具だ。何を道具に使うのか,小さい頃からじっと見てきて,おとなたちのやり方をそのまま自分で再現している。そして,おとなと同じように,手で道具をつまんで穴に入れようとする。けっして口は使わない。この年代の子どもたちは,手より口のほうが細かいコントロールができるので,じつはクレオのように口を使うほうがうまくいく確率が高い。それでもアユムは,たとえうまくいかなくても,あきらめることなく手で道具を持って穴に入れようとする。おとなたちがやるのと同じ道具を使って,同じように手でつまんで穴に入れようとする,「忠実,堅実タイプ」なのである

母の背中を見て学ぶ

できるようになったとはいえ,子どもたちはまだおとなほど上手ではない。道具をうまく穴に入れられないことも多い。それでも,そばにいる親たちが手を貸してやることはない。子どもができるようになるまでのあいだ,親が積極的に教えたことは一度もない。人間であれば,子どものために道具を穴に挿してハチミツをなめさせてあげたり,手を取って教えたりしたくなるところだろう。しかし,チンパンジーの親はそうはしない。

ただし,母親が子どもに対してまったく何も貢献しないわけではない。子どもたちは,母親がハチミツに浸した道具を横取りしようと割り込んできて,道具を口に含もうとする。母親は寛容で,道具を子どもが口にくわえて持っていくことを許す。ごくまれにだが,母親が自分でハチミツをなめたあと,使った道具を子どもに差し出して渡すこともある。こうして,子どもたちは母親が使っている道具にじかに触れる機会をえる。

重要なのは,子どもの側の熱意だ。母親と同じことをしたい,母親と同じ道具を手に取ってみたい。そうした強い動機に支えられて,親と同じ道具を使うことを覚えていく。母親は黙って実演する。子どもは母親が示す手本をじっと見て学び,時には母親の道具を横取りして触れてみる。しいていえば,これが「チンパンジー流教育法」だ。

アユムも,そしてクレオもパルも,チンパンジーとして学ぶべきことがほかにもたくさん残っている。お母さんの背中はまだまだ大きい。




母が道具を使ってハチミツをなめるのを、観察する子ども


道具を子どもが口にくわえて持っていくことを許す


母親が自分でハチミツをなめたあと,使った道具を子どもに差し出す
この記事は, 岩波書店「科学」2002年6月号 Vol.72 No.6 連載ちびっこチンパンジー第6回『道具を使う』の内容を転載したものです。