チンパンジーの「数」の能力

アユムが左右のお皿の中身を注意深く見比べている。どちらのお皿の方にリンゴ片がたくさん入っているか?発達検査の「数の大小」課題の実験風景だ(図1)。そのかたわらでじっとアユムを見守っているアイ。アイにとっては実に簡単な課題だ。なぜならアイは,5歳の頃から霊長類研究所で「数」の認識についての実験をおこなってきたからだ。物の色や形が変わっても1から9までの数を命名することができる。コンピュータ上の円の数を数字で答えることもできる。0もおぼえた。0から9までの数字を小さい順に並べることもできる。

アイだけではない。クレオの母親であるクロエも,コンピュータに向かって,「数の相対的大小判断」の実験を難なくこなす。2つの枠の中に提示される「赤い円」の数が多い方を選べば正解。1個から8個までの「赤い円」が,さまざまな数の組合せで提示され,その大きさや密度も変化する。また別の条件では,赤や緑の四角形,緑の円の中に,探すべき「赤い円」が埋もれている。そのような複雑な条件でも,クロエは「赤い円」の数が多い方の枠を正しく選ぶことができる。霊長類研究所のチンパンジーが特別なわけではない。

野生チンパンジーの日常場面においても,「数」の能力は必要不可欠のはずだ。たとえば,好物であるイチジクの青い実の中に赤く色づいた実のなった木々に遭遇したとしよう。どちらの木に登るか,どの枝先の方へ行くか,赤い実がたくさんなった木や枝を見分けているかもしれない。では,チンパンジーの子どもたちはいつごろからこのような「数」の手がかりを使えるようになるのだろう。

自発的に「数」の手がかりを使う

チンパンジーの子どもたちに対して,訓練によらない自発的な「数」の手がかりの利用について調べた。同じ大きさ,同じ形に切ったリンゴ片と,2枚のお皿を用意する。片方には3個,もう一方には1個入れて,どちらのお皿を選ぶかテストした。アユム,クレオが8ヵ月,パルが7ヵ月のときにテストを開始した。どちらを選んでもお皿の中のリンゴ片を食べることができるのだが,アユムもクレオもパルも,1歳前後になると,数の多い方のお皿を頻繁に選ぶようになった。4個と2個の組合せでもやはり4個のお皿の方を選ぶ。みんな「数」の多い方を選んでいるように見える。しかし,本当に数を手がかりにしているのか。

それとも,見た目の量で判断しているのか。そこで,少しむずかしい課題を用意してテストしてみることにした。彼らの好きな食べ物だけでなく,嫌いな食べ物も混ぜてみたのだ。このように,好き嫌いのある食物片が混在するとき,見た目の数に惑わされずに,好きな食物片の数が多い方を選ぶことができるのかを調べた。アユム,クレオが1歳10ヵ月,パルが1歳6ヵ月のときに,テストを開始した。

好きな食べ物(リンゴ)と嫌いな食べ物(ニンジン)を同じ大きさ,同じ形に切った。2枚のお皿を用意した。片方には,好きな食物片3個と嫌いな食物片1個。もう一方には,好きな食物片1個と嫌いな食物片4個を入れて見せた。すると,3人の子どもたちは皆,好きな食べ物の数が多い方のお皿を選ぶようになった。さらに,好きな食物片の数を4個と2個に変えて同じテストをしても,子どもたちは皆,全体の数に惑わされることなく好きな食べ物の多い方のお皿を選んだ。ただし,それぞれの個性がある。

アユムは, リンゴ片とニンジン片の入ったお皿」を見せると,左右のお皿の中身を慎重に見比べて,リンゴ片の数が多い方のお皿の方に手を伸ばした。大好きなリンゴ片から先にとって食べる。リンゴ片を食べ終えたらニンジン片に手を伸ばす。時には,ニンジン片を残したり,取っても食べなかったりした。

クレオは,ニンジンもよく食べてしまう。そこで,ニンジンの代わりにニガウリを入れた。クレオは素早く見比べ,「アッアッアッ」と聞こえるフードコールと呼ばれる音声を発しながら,リンゴ片をつかみ取ってほおばった。ニガウリ片は,手ではじき飛ばした。

パルは,好きなはずのリンゴに飽きてしまった。そこで,リンゴの代わりにパイナップルを入れた。パルは,ゆっくりのんびりと大好きなパイナップル片を取る。そして,嫌いなニンジン片は,足で踏みつけるなどして,口にしなかった。

子どもたちの示す行動から,個別の食物片の種類を見分けた上で好きな食べ物の多い方のお皿を選んでいることがわかった。「数」を認識し,それを利用する。野生でも必要とされるはずの能力が,たしかにちびっこチンパンジーたちにも芽生えつつある。

この記事は, 岩波書店「科学」2003年1月号 Vol.73 No.1 連載ちびっこチンパンジー第13回『「数」をくらべる』の内容を転載したものです。