図: ボッソウの野生チンパンジーの親子. 生後2ヵ月のあか んぼうジマトと,5歳の兄ジェジェと.母親のジレ.連続写真

2002年末年始の1ヵ月たらずをアフリカで過ごした。2002年9月に訪れたときにおなかの大きかったジレが,10月に男の子を産んでいた。現地のマノン人の助手たちが相談して,ジマトと名づけた。ジレは「道」,ジマトは「わき道に入る」,という意味のマノン語である。ジマトには5歳年長のジェジェ(トゲのある草の名前)という兄がいる。ついこの前まで母親の胸に抱かれていたジェジェが,すっかりお兄ちゃんらしくなっていた。

京都大学霊長類研究所の調査隊は,27年にわたって,西アフリカのギニアの奥地,ボッソウ村の周辺の森に住む野生チンパンジーを調査している。私は17年前に加わり,だいたい1年に一度訪れている。現在調査しているコミュニティは19人で構成されている。最も小さい部類である。そこに,2001年生まれのべべという女の子とフォーカイエという男の子がいる。つまり,研究所のちびっこ3人組と同様に,ジマトを加えた3人のちびっこチンパンジーが集まることになった。ボッソウの野生チンパンジーは多様な道具を使うことで知られている。一組の石をハンマーと台にしてアブラヤシの硬い種を叩き割り,中の核を取り出して食べる。木や草の葉を口の中で折りたたむようにして作った道具を使って,木のうろにたまった水をすくって飲む。アフリカでは,本来こうした道具使用とその学習過程に焦点をあてた研究をしているのだが,ついついあかんぼうの方に目が行ってしまう。

ジマトの発声がおもしろい。オッとかウッと聞こえる声は,あかんぼう特有のものでウー・グラントと呼ばれ,それをオッオッオッと続けた声はスタッカートと呼ばれる。アユムたちでも聞きなれた声で,何かというとすぐにオッオッと声を出す。ところが,まるで聞いたことのないグーとかグエーと聞こえる声をジマトはよく出す。文献にあたると,エフォート・グラントと呼ばれる声らしい。

考えてみると,生後2~3ヵ月にあたる野生チンパンジーの子どもをしっかり観察した経験がない。これまでに22組の野生チンパンジーの母子を見たが,野生では遠くからごく断片的にしか見ていない。

日本では,母親が育児放棄したチンパンジーのあかんぼう3人を,自分たちの手で育てたことがある。また,アユムたち3人の研究で,チンパンジーの母親が育てるチンパンジーの様子を毎日ずっと見守ることができた。そんな中で,チンパンジーのあかんぼうが2~3ヵ月のころにさかんに声を出すことは気がついていた。しかも,興味深いことに,その多様で自発的な発声は生後6ヵ月ころを境に急に消えていく。人間でいえば,バババとかバブバブという意味不明の「バブリング(喃語)」を発する時期があり,それが,1歳のころに,食べ物を見てマンマというような初語すなわち明確な意味をもつ発声になる。喃語に相当する発声が,チンパンジーでは消えていき,おとなの発する決まりきった声だけになっていく。ところが人間では,喃語の多様な発声がさらに豊かなことばへと発展する。

ジマトの多様な発声を観察していて気がついたことがある。ジマトは,主に2つの場面で声を出す。まず,だれかの声が聞こえるとジマトが声で応える。チンパンジーには,フーホーフーホー……ワォーという,パントフート(「おーい」という呼びかけの声)があるのだが,その声によく応答する。もうひとつは,だれかが近寄ってきてジマトの顔をのぞき込むと声を出す。

1歳半になるベベとフォーカイエもおもしろい。母親のまわりでちょろちょろしている。どちらも母親がきわめて若い。ともに10歳で母親になった。だから,祖母にあたるチンパンジーも健在だ。興味深いことに,おばあさんが孫のお守りをよくする。石器を使ったヤシの種割りの場面で,おばあさんのありがたみが理解できた。乳飲み子がまとわりついていると片手しか使えないので効率が悪い。おばあさんが面倒を見てくれると,母親は両手が自由になるので,しごとがはかどり倍ほど多い種を割れる。

小高い丘の頂上に野外実験場を作り,石と種とを用意してチンパンジーが来るのを待つ。道具使用の様子をビデオに記録する。そうした研究をもう15年間も続けている。撮りためたビデオ記録を見返せば興味深い研究ができることに気がついた。祖母が母を育て,母が子を育てる。そうした子育ての仕方はどのように世代を越えて引き継がれるのだろうか。祖母-母-子という2組の子育てを素材に,「どのように育てられた子が,どのような親になって,どのような子育てをするか」,石器使用というまったく同じ場面で世代を越えた比較が可能だ。子どもが種の中身をもっていくのにきわめて寛容な親もいれば,それほどでない親もいる。子どもの抱き方や背負い方ひとつにもいろいろな違いが見られる。それらが世代を越えて伝えられるのか,伝えられないのか。比べてみるときっとおもしろいだろう。

今年中に,研究所の3人組は3歳を迎える。やがてアユムたちが5歳になるころ,下に弟妹が生まれたら,どのようなお兄さんやお姉さんになるのだろう。さらに大きくなって子どもが生まれたら,アイたちはどんなおばあさんになるのだろう。野生の群れを見つつ,飼育下でそのまるごと全体をシミュレーションして比較するような研究,アフリカで,そうしたチンパンジー研究の将来像を思い描いた。

この記事は, 岩波書店「科学」2003年3月号 Vol.73 No.3 連載ちびっこチンパンジー第15回『野生チンパンジーのあかんぼう』の内容を転載したものです。