発達検査

チンパンジーのあかんぼうに,ヒトと同じ発達検査をおこなってきた。ヒトのばあい,6ヵ月検診や1歳検診と称して,保健所などで小児科医や保健士があかんぼうを検査する。身長や体重の測定だけでなく,認知や行動面での発達も調べる。聴こえの障害,言葉の遅れ,脳性マヒなどの早期発見・早期対処に有効だ。

認知と行動の全般的な発達を見るために,われわれは「K式発達検査」,「ブラゼルトン新生児行動評定尺度」,「ボイタ姿勢反応検査」を実施している。こうした検査は,いずれも特別な検査用具や高価な機械は使わない。あかんぼうをおかあさんに抱っこしてもらったまま,あるいは台の上に寝かせたり,持ち上げたりする(図1)。せいぜい使うものといえば,ガラガラ,ベル,ひものついた輪,積木,そして懐中電灯くらいだ。しかし,たくさんのあかんぼうを見慣れた検査者は,行動パターンの違いとして発達障害を感知できる。

2003年5月14日に生まれたチンパンジー,ピコは,母親プチに育児放棄されたため,当初われわれが育てた。保育器の中に仰向けに寝かされたあかんぼうは,ヒトと同様,寝返りができない。チンパンジーは,3ヵ月ころに寝返りができ,同じころ歯も生え始める。これまで見慣れた子たちとくらべて,動きが少ないのが印象的だった。

生後4日目に最初の発達検査をした。「自動歩行」が見られ,一般的な活動性は低いがとくに顕著な異常はなかった。次の生後10日目の検査でも異常という判断は無かった。しかし,生後1ヵ月(34日目)の時点で,発達検査によって下肢の発達異常を確信した。たとえば,「台のせ反射」が出てこない。あかんぼうの腋の下に手を入れて背後から抱きあげ,テーブルなどのへりに手や足の甲を触れさせると,「手足を背屈させて足底や手掌の方で接地して」体を支持しようとするのだが,そうした反射が,手では確認できたが足では出てこないのだ。視聴覚や上肢の機能に異常は無い。下肢だけが萎えたようになっている。左側にその傾向が顕著だった。

図: 「吊り上げテスト」.片手で体重を支えられる.ピコ生後3カ月.撮影:松沢哲郎

精密検査とリハビリテーション

同じころ,背中の上部に小さなこぶのような盛り上がりがあることに気づいた。そこで友永が組織する検診チームが,生後1ヵ月半の時点で,発達検査に加えて,麻酔して医学検査をおこなった。胸部のレントゲンとMRIの撮影をしたところ,第8~第11胸椎の形成不全が判明した。その付近で背骨が折れ曲がったようになっている。下肢の発達異常との関連が示唆された。生後2ヵ月では,血液や神経性腫瘍マーカーの検査,CT撮影もおこなった。神経性腫瘍ではないようだ。CTの結果は胸椎の形成不全を追認した。原因はまだ特定できない。症状は一進一退で,一方的に悪くなってはいない。後藤・鈴木・加藤・松林の獣医師団が経過を見守っている。

生後10日目に母親が抱くようになってからも,子育ての様子を近くで見守ってきた。毎朝8時,松沢が母子の部屋に同居して,朝食を手渡しながら子どもの発達を小一時間観察している。日中は前田が,母子を順次ほかのチンパンジーたちに出会わせた。3歳のちびっこたちは興味津々だ。たらんと垂れ下がりがちなピコの足を引っ張ろうとする。その手をプチがそっと手で払いのけ,逆に,プレイフェイスをしてほかの遊びへと誘う。

1日1回は必ず熊﨑が2時間ほど母子と同居して,詳しい検査や体温, 呼吸, 心拍測定,そしてリハビリテーションをおこなっている。 プチは12歳のころ研究所にやってきた。それ以来ずっと熊﨑が身近に世話をしてきたので最も信頼が厚い。プチの腕をそっと持ち上げて,ピコの背中や腰から下肢にかけてマッサージする。末梢からの刺激を与えることで中枢の機能を回復させようというねらいだ。その効果があったかどうか科学的な検証はできない。しかし実際,生後1ヵ月半の時点で最悪だった下肢の麻痺が,2ヵ月,3ヵ月検診では改善されていた。

参考までに,日本では,1歳の時に患った脳炎の後遺症による麻痺のある子が大事に育てられた例がある。また現在,日本モンキーセンターに,1歳前の急な発熱の影響で右半身の自由を失ったシノ(8歳)がいる。同園の判断で,昨年8月から他個体との同居を試みている。

母親によるケア

アイとアユムのばあい,生後の3ヵ月半,母親はあかんぼうをほぼ1日24時間ずっと抱き続けていた。それが一般的な母子の姿だ。プチもピコをしっかりと抱いている。そうした中で,子どもは腕だけ使って自力で這い上がって母親の乳首に到達するようになった。わずかながら下肢ももがくように動く。フフフッとか細い声をあげると,母親が抱きなおしてくれる。

3ヵ月たって,キョロキョロとあたりをよく見回している。両腕は母親をつかんでいるが,上を向いたり,後ろを振り返ったり,じっとしていない。人間が近づくと,オオオッとスタッカートと呼ばれる声を出す。子どもの注意は外界に向けられるようになってきた。

体重も出生時の1.7kgから2.7kgまで順調に増えた。大きくなったので,起き上がって母親が抱くと子どもの足が地面に届く。ただし膝まずくかたちになってしまい,足底に力を込めて踏ん張れないようだ。移動する時は,今もまだ母親がいつも片手を添えて抱っこしている。しかし,そろそろ母親から一時的に離れたり,つかまり立ちしたり,4足で踏ん張って立ったりする時期にさしかかった。今後の発達と障害はどうなるか,その障害と向き合って,母親やなかまのチンパンジーたちとの関係がどのように育っていくか。そっと手を差し伸べつつ,見守っていきたい。

追記:本稿の執筆者たち以外に,研究所内外のたくさんの方々がピコをお世話くださいました。三上章允,西村剛,濱田穣,竹中修,平井啓久,竹下秀子,五十嵐稔子,瀬戸嗣郎,小西行郎,師田信人,杉村恒人,加藤文彦(敬称略),記して深く感謝します。

この記事は, 岩波書店「科学」2003年10月号 Vol.73 No.10 連載ちびっこチンパンジー第22回『発達の障害とケア』の内容を転載したものです。