最初の4年間

2004年4月24日,アイの息子のアユムが満4歳になった。2000年生まれの子どもたちを対象にしたチンパンジーの認知発達研究も4年が経過した。チンパンジーの寿命はだいたい50年くらいだと考えられる。チンパンジーの4歳は,人間で言えば6歳くらいに相当する。つまり人間でいえば生まれてから小学校にあがるまでの未就学児を見てきたことになる。

最初の4年間の認知発達を特徴づけるキイワードは「親子のきずな」だった。チンパンジーの母親は,昼も夜も1日24時間ずっと子どもを抱き続ける。びろうな話だが,子どもが垂れ流す大小便で,母親のおなかのあたりはしっとりと濡れている。それでも片時も離さない。そうして母親に抱かれ続けながら,子どもは母親の一挙手一投足を,至近距離から観察し続ける。

アユムたち3人のちびっこは,2歳少し前に,最初の道具使用をおぼえた。細い棒を小さな穴に差し入れて,壁の向こう側にあるハチミツを引きずり出してなめ取る。親の様子をずっと見続け,自分たちでもいろいろ試して,道具が使えるようになった。母親は何も積極的に教えない。しかし,そうした学習場面に連れて行ってくれるのは母親だ。要は,母親なしに学習は成り立たない。

もう4歳になるというのに,アユムはまだ母親アイのお乳を吸っている。夜は,同じ寝棚で,母親の胸にもたれかかるようにして寝ていることが多い。一方,日中は,母親のそばにいるとは限らない。たいてい子ども同士でさかんに動き回って遊んでいる。男の子のアユムは,父親のアキラのあとにつきしたがって,よろず尻馬に乗ることも多くなってきた。

勉強を始めた

これからの4年間は,チンパンジーの子どもが4歳から8歳になる過程,つまり人間で言えば6歳から12歳までの小学生の時代をまるごと全部みることになる。ちょうど人間の子どもが小学校にあがると,とたんに生活のペースが学校での勉強を軸にまわるのと同様に,霊長類研究所でも研究のパラダイムをドラスティックに変えようとしている。

アイは幼いときから,コンピュータに対面した勉強場面で,文字や数字を媒体としたさまざまな課題に従事してきた。たとえば鉛筆を見せるとその本数を数字で答える。Oから9までの数字を小さい順に選べる。5つの数字を瞬時に記憶する。アユムは,まだそうした課題を積極的に教えられたことはない。アイを通してみたチンパンジーの知性の深さを再度検証するとともに,さまざまな角度からさらに深く追求してみたい。彼らは何をどこまで学習できるのだろう。

そこでこの4月から,アイ(27歳)とクロエ(23歳)とパン(20歳)の3人の母親とそれぞれの子ども,アユムとクレオとパルを加え,合計6人を対象に,アイを除く5人にとっては生まれて初めて体験する「アラビア数字の系列学習」を始めた。子どもはまだ離乳していないので,親子が並んで,それぞれが個別のタッチパネル付きコンピュータに対面した。

第1段階では,画面中央下にあらわれる「スタート」を意味する白丸に触れると,画面に0から9までの数字のうちの1個があらわれ,それに指で触れるとリンゴ片か干しブドウ1粒がもらえる。誤答というものがないかんたんな課題だ。

第2段階では,1と2の2個の数字が画面のでたらめな場所にあらわれ,1を触れるとそれが消え,さらに2を触れるとそれも消えて,正解のチャイムが鳴り報酬がもらえる。ただし先に2に触れると画面から数字が消えて,ブザーが鳴る。

第3段階では,1と2と3の3個の数字があらわれ,1・2・3の順で触れれば正解になる。以後,1・2・3・4と,数字が順次増える。始めてから2カ月が経過した。アユムはすでに1・2・3・4・5まで正しく選べる。数字を良く見ないであてずっぽうで触っても正解する確率は1%以下なので,まちがいなく数字の順番は理解したといえる。ただし,数字の意味は何も理解していない。人間の子どもが,湯船に肩までつかりながら,意味もわからず1・2・3・4・5……と数を唱えるのとよく似ている。

学習のプロセス

こうした数字の系列学習の結果を,初心者のおとな2人と子ども3人で比較した。第2段階の冒頭で,初心者5人のうち4人は1か2のどちらか一方を好んで選んだ。冒頭から,文字の形は識別しているということだ。残り1人の子ども(クレオ)は位置に眼が行き,画面の右に位置する数字を先に選んでいた。同じ初心者でも,やはりおとなは子どもよりやや速く学習して次の段階に進んだ。

1・2・3ができたので4を導入すると,1・2・4という間違いが多い。1・2・3・4ができて5を導入すると1・2・3・5と間違える。1・2・3・4・5ができて6を導入すると,1・2・3・4・6としてしまう。1・2・3・4・6・5の順で触れようとしているようだ(実際には6に触れたところでブザーが鳴って画面から数字が消えてしまう)。つまり,ある数字の系列(1・2・3・4・5)をおぼえたとき,系列の最後に来る数字(5)は,その時点でのターミネーターで,「最後」という意味なのだろう。「この数字は最後までとっておかなければいけない」というルールを学習しているようだ。この傾向は5人ともそうだった。

問題は徐々にむずかしくしていった。基本的には,次々と問題を自分のペースで解いてもらう。だが,そうすると成績が伸びなかったり,どうしてもケアレスミスがなくならないときがある。そのときは,①間違えたあとペナルティーとして次の問題に行くまでの時間を延ばす「タイムアウトの導入」,②間違えたあと同じ問題を繰り返す「修正法の導入」などが効果的だ。

1コマ90分授業。正味は1時間程度だが,子どもたちもおとなしくコンピュータに向かっている。こうした勉強が,午前2コマ,午後2コマある。チンパンジーにも勉学の季節が到来した。

この記事は, 岩波書店「科学」2004年7月号 Vol.74 No.7 連載ちびっこチンパンジー第31回『数字の勉強 1・2・3・4・5…』の内容を転載したものです。