あくびのビデオを見せる

英国王立協会報(生物学)の電子版2004年7月21日号に,「チンパンジーにおけるあくびの伝染」と題した論文が掲載された。ジェイムズ・アンダーソン(英国スターリング大学),明和政子(滋賀県立大学)との共同研究である。

おとなの女性チンパンジー6人を被験者にして,あくびの伝染にかんする実験をおこなった。緑の屋外運動場にいるチンパンジーを勉強部屋に誘導する。部屋の壁は透明なアクリル壁になっていて,向こうにモニターテレビが置かれている。チンパンジーにテレビの前に座るように促して,ビデオを見せた。

いろいろなチンパンジーがいろいろなポーズでするあくびのシーンである。そのさまざまなあくびのシーンを,3分間のあいだに8~10回見せるようにビデオを編集した。つまり1回のあくびは,平均13秒ほどのシーンになる。そのシーンとシーンのあいだは6~10秒の間隔が空いていて,その間の画面は青一色で何も映っていない。モニター画面にこのあくびのビデオが3分間流された後,モニターの映像は消えて,ただ静かにすごす3分間があった。この,繰り返しさまざまなあくびのシーンを見る3分間のビデオの間および直後の3分間に,いったいチンパンジーが何回あくびするかを数えた。合計6分間の中でのあくびの回数である。

比較対照

それと厳密に比較対照するため,「あくび」でなく「ただ口をあけた表情」のビデオを同じ条件で見せて,同様にあくびの回数を数えた。さらに細かく言えば,結果として差はなかったが,「知っている(霊長類研究所の)チンパンジーのするあくび」と「知らない(野生の)チンパンジーのするあくび」を別々の3分間ビデオに編集した。同様に,「知っているチンパンジーのただ口をあけた表情」と「知らないチンパンジーのただ口をあけた表情」という別々の3分間ビデオを用意した。

つまり,3分間のビデオが全部で4種類ある。あくびビデオが2本と,口あけビデオが2本だ。1回のテストの中で,そのうちの2本を続けて見せてテストした。つまり,ビデオを見る順番としては,(1)「知ってるあくび」のあと「知らない口あけ」を見る,(2)「知らない口あけ」のあと「知ってるあくび」を見る,(3)「知ってる口あけ」のあと「知らないあくび」を見る,(4)「知らないあくび」のあと「知ってる口あけ」を見る,という4種類の順番がある。それぞれの順番で1回,合計で4回テストしたこうすれば,見る順番やチンパンジーに関する知識などについてその効果を相殺できる。

その結果,6人中2人で,あくびのビデオを見るとあくびをよくする,ということが確証された。アイとマリの2人だった。全テスト期間中のあくびの総合計回数をみると,アイは,あくびビデオに対して24回,口あけビデオに対して2回あくびした(図1)。あくびビデオを見ると毎分1回の頻度であくびをし,口あけビデオを見ると毎分0.08回程度の頻度であくびをしたことになる。マリでは,25回対4回だった。

他の4人では統計的に有意な差はなかった。しかし,あくびのビデオを見てあくびが減ったというような逆のケースは皆無だった。6人中3人は子持ちだ。3歳から3歳半の子どもたちは,母親と一緒にビデオを見た。しかし,その子どもたちは,だれも1回もあくびをしなかった。

あくびの伝染は知性の証拠

「あくび」についてのこれまでの研究をみてみよう。第1に,今回の実験と同様,あくびをしているビデオのシーンを繰り返し見せられると,人間のおとなでだいたい半数の人はあくびをする。これは65人のおとな(大学生)の被験者についてのデータである。チンパンジーでは6人中2人だったので割合としては大差はない。

第2に,4歳以下の子どもではこの「あくびの伝染」という現象は見られない。アンダーソンが,2歳から11歳までの87人でテストした。2つの方法で,あくびの誘発を調べた。①あくびビデオを見せた。5歳未満の子どもでは,あくびがまったくでてこなかった。②あくびにまつわるお話を読み聞かせた。6歳未満の子どもでは,あくびがまったくでてこなかった。興味深いことに,どちらのばあいも,年齢があがるとともにあくびをする人数が徐々に増えた。

第3に,イヌでもネコでもライオンでも,あくびをする動物はたくさんいるが,これまで知られている限り,同種の仲間で「あくびの伝染」が知られていたのは人間だけだった。

あくびの伝染は,ある種の「共感」する能力というものを前提としている,と考えられる。他者の行動をもとに,その他者の視点にたって理解する能力である。そのためには自他の区別も当然必要だろう。「伝染」という表現から,自動的に機械的にうつる反射のようなものに思えるが,じつは「あくびの伝染」という現象は深い知性を必要としていることが「5歳未満の人間の子どもでは見られない」「人間以外の動物では知られていない」ということから推測できる。

今回の研究から,チンパンジーでも「あくびの伝染」の認められることが初めて実証された。これは,人間だけでなくチンパンジーのような類人猿もまた「共感」や自他の認識をもっていることを示唆する,新たな証拠といえるだろう。

研究の展開を2つ考えている。第1は異種間のあくびの伝染だ。チンパンジーのあくびビデオを見るとついわたしもあくびをしてしまう。逆に。人間のあくびビデオでもチンパンジーにうつりそうだ。ぜひ双方とも確証したい。第2は個人差だ。なぜアイとマリだけ顕著にあくびがうつるのか。人間でもうつりやすい人とそうでない人がいる。分裂気質の人にはうつらないらしい。自他の被写真の区別がすばやくできる人ほどあくびがうつりやすいという言説もある。今後の課題だろう。

この記事は, 岩波書店「科学」2004年10月号 Vol.74 No.10 連載ちびっこチンパンジー第34回『あくびの伝染』の内容を転載したものです。