重力の呪縛?

これまでにも,ヒトを含むいくつかの種でこのような課題を用いたテストが行われてきた。私たち人間のおとなであれば,チューブがどのように配置されていようとも,そのチューブの中を通ってピーナッツが落ちてくるというのが理解できるので,正しい方の出口に手を差し出すことができる。しかし,同じ課題を子どもたちに行わせてみるとどうだろうか。驚くべきことに,人間でも3歳から4歳にならないとこのような交差したチューブの課題にはパスしない。少し手続きは違うが,たった1本のチューブが斜めに取りつけられた装置でテストしても,2歳児は間違えてしまう。では彼らはどこに手を差し出すのか。間違いのパターンはほとんど決まっている。彼らはみな,ピーナッツを落とす入口の真下に手をもっていったり,真下に取りつけられた箱の中を探したりするのである。

このような行動はある意味当然かもしれない。というのも,「物は支えがないと真下に落ちる」ということを人間の子どもたちは日常的に経験しているからである。手に持って遊んでいたおもちゃをはずみで落としてしまっても,真下から大きくはずれた場所に落ちることはほとんどない。もしかすると子どもたちは2歳の段階ですでにこのような物が真下に落ちるという規則(重力の法則といってもいいのかもしれない)を体で覚えているのかもしれない。だから,交差したチューブなどによって軌跡が曲げられたとしても,まず真下を探索したり,あるいは真下に落ちてくることを予測して手を差し出したりするのだろう。

このような結果は,ヒトの子どもに限ったことではない。ニホンザルの仲間や南米に住む新世界ザルのタマリンでも同様の報告がなされているし,イヌでもそうだということが最近報告されたではチンパンジーはどうだろうか。チンパンジーも子どもの頃はヒトと同じく「重力の呪縛」にとらわれているかもしれないが,分別のついた(?)おとなのチンパンジーならばこの課題をパスしてくれるかもしれない。

おとなまでも……

そこで,図1のような状況で3個体のちびっこチンパンジーとそのお母さん2個体を対象にテストを行ってみた。子どもたちは1歳半からつい最近の4歳まで断続的にテストを行い,お母さんも1年以上の間隔をあけて2回ほどテストした。何回も繰り返すと学習によって正解を学んでしまうかもしれないので,なるべく長い期間をおいて少ない回数のテストにした。しかし結果は非常に安定していた。1歳半だろうと4歳だろうとおとなだろうと,交差したチューブでのテストではほとんどといってよいほどピーナッツを投入する口の真下に手を差し出したのだ。おとなでは約10%しか正解せず,子どもでは左右いずれかの位置にこだわる反応が出たりしたため,平均正解率は約30%だった。はじめ懸念していた学習の効果はまったくなかった。おとなたちも子どもたちも規則を発見した兆しはまったくなかった。ピーナッツを落とす方の口に近い方を選んでいるだけなのだろうか。そう思って,板全体を少し回転して一方のチューブが垂直になるようにしてテストしてみた。そうすると,垂直チューブから落とした場合は正しく手を差し出すことができるのに,斜めのチューブの場合はつねに間違いつづけた。

もしかすると,チューブというものの機能がわかっていないのかもしれない。そこで,クレオという子どもに,少し短めのチューブとマカダミアナッツを与えて遊ばせることにした。クレオはマカダミアナッツを上の口から落として下の口から転がり出るのが楽しいらしく,あきもせず毎日毎日遊んでいた。しばらく後にクレオは再度テストに挑戦したのだが,結果は変わらなかった。やはり,真下の口に手を差し出したのである。

物理世界の認識

このテストの結果の解釈にはまだまだ議論の余地はある。本当に彼らの行動は「重力の呪縛」によるものなのだろうか。もしかすると,単に実験者の手の位置に自分の手を合わせているだけなのかもしれない。 しかし人間の子どもなどの研究では,巧妙なテストの結果から重力の呪縛説が有力になりつつある。たとえば,重力の影響を受けない状況でテストするとどうなるか。ある研究者は装置全体を床に置いてテストしてみた。こうするとピーナッツの軌跡は重力に支配されないことになる。このような場合,新世界ザルのタマリンは正しい方の出口を探索するらしい。また,別の研究者はビデオ映像を使って「落下」ではなく「発射」事象を人間の子どもに見せた。下の口からピーナッツが上に向かって打ち上げられるというシーンである。このような重力に抗する事象の場合には正解率が上がることがわかっている。これらの結果は,誤った選択をするのはピーナッツが上から下に移動する場合のみであることを示している。つまり,彼らの行動はやはり重力の呪縛によるものらしいのだ。

チンパンジーでもこのようなテストをしてみたい。そうすることによって,彼らの持つ物理世界の知識や認識の様式がより明確になっていくだろう。

この記事は, 岩波書店「科学」2004年12月号 Vol.75 No.12 連載ちびっこチンパンジー第36回『物は真下に落ちてくる?』の内容を転載したものです。