これまでに二度登場したピコが,2005年6月9日,生後756日でその短い生涯を閉じた。「胸椎の奇形」という障害を生まれつきもっていた。日々の世話や治療に関わったスタッフの皆でピコの短い一生を報告したい。

母親が子どもを抱くまで

ピコの生涯は2年1カ月という短いものだったが,その中身は,誕生の時から波瀾万丈だった。母親プチは当時37歳。人間でいえば約50歳にあたる高齢出産だった。ピコが生まれる瞬間は誰も見ていないが,過去2回のプチの出産状況から,容易に想像がつく。プチは,生まれてきたあかんぼうを抱き上げることを知らない。きっとパニックとなってギャーギャー騒いだに違いない。

産み落とされたピコは,子育て経験のあるレイコに拾われた。しかし乳の出ないレイコではあかんぼうを育てることはできない。ピコの健康状態が安定するまで人工保育した。人間のあかんぼうのための保育器に入れ,スタッフが交代で泊り込んだ。同時に,なんとか母親のプチに抱いてもらう努力も続けた。格子越しの面会から始め,出生後10日目に母親に抱かせることに成功した。プチと最も親しい熊﨑が,プチのお腹にピコをぐっと押しつけるようにくっつけた。あかんぼうはしっかりと母親のわき腹の毛を握り締めた。しがみつかれると,母親もおそるおそる子どもを抱くようになった。

数日後には,もう絶対に離さないといわんばかりに,プチは太い腕でピコを庇うように優しく抱いていた。はじめはうまく授乳できなかった。しかし,毎日抱き方を直してピコを乳首に付ける訓練を約2週間おこなった結果,なんとか授乳も軌道に乗った。

障害とともに

しかし,まだたいへんな難関が待ち受けていた。それはピコの奇形だった。最初に気づいたのは,背中のこぶのような出っ張りだった。生後1カ月の時点で,下肢の動きが悪いことにも気づいた。両足がダラリと垂れ下がり動かない。お腹の活動も悪くガスが溜まって膨らんでいる。おしっこは垂れ流し,便の出は悪い。

ピコの背中,腹,腰,大腿,足の裏,指先を,手でマッサージした。下肢の曲げ伸ばし,体毛を強めに引く刺激,ベッド作りのための敷きワラの先端で軽く突く刺激など,末梢から脳や神経を刺激して少しでも回復の助けにならないかと毎日くり返した。反射的な足の動きや大腿が持ち上げられる動きは少しあったが,目に見えて良くなるわけでもなかった。

1歳頃に重い貧血と診断された。親子を麻酔して,プチからピコへの輸血治療を週1回始めた。これもなかなか効果が現れない。栄養補給として,粉ミルク,マルチビタミン,鉄剤,生理食塩水などを,朝晩2回食事の時に与えた。

母親のプチもたいへんだ。なぜなら,生まれてからずっと子どもがしがみついたままだからだ。24時間抱き続けているため,さすがにストレスが溜まるのだろう,自分で自分の毛をむしるようになった。そこで,気分転換をはかるため,日中の世話を担当する前田が相手をえらんで,子連れでほかの仲間と遊ばせるようにした。たまに認知科学のための実験研究に被験者として参加するのも気晴らしになっただろう。

ピコは,生後半年頃から,ときどき親から離れて格子につかまるようになった。やがて熊﨑にも抱きついた。ピコの手の届く低い位置にロープを張ると,腕だけを上手に使ってロープ渡りや天井や窓の格子渡りを始めた。これで母親の負担もだいぶ軽くなった。貧血をかかえながらも2歳近くなると腕も太くなり,力もついてきて,ロープ渡りにも自信がわいてきたようだ。輸血や栄養補給で体毛もフサフサに伸びてチンパンジーらしくなってきていた。自力で足も少し動かせるようになってきていた。

そうした矢先のできごとだった。突然体調を崩し,治療もむなしく,あっけなく逝ってしまった。2年前ピコをプチに強引に抱かせたことが母子のためにも良かったと思う反面,ある日突然ピコがいなくなって何も知らず部屋の中を探し回るプチに申し訳なく思う。

下肢の麻痺という重い障害を抱えながら,細い腕を伸ばして格子を登り,ロープにつかまるピコ。自分の力で移動できる楽しさを,声に出して喜んだり,踊るように体を揺らしたりして,小さな体から湧き出てくる生きるパワーをわたしたちに実感させてくれた。



治療経過の概要

ピコの生涯の記録として,病気の発見と経過を書き残したい。人工保育をしていた初期の検診で脊柱の湾曲と両下肢の麻痺を発見した。脊柱の湾曲は生後71日目のCT画像と,後に撮影したX線写真とMRI画像から,胸椎の奇形(通常より数が1つ多く14個,うち3個が形成不全)であることが判明した。また下肢の麻痺はこの奇形に伴う脊椎神経管の狭窄が原因だろうと推察できた。9カ月検診(生後278日)までは貧血ではなかったが,1年検診(生後378日)時には重度の貧血に陥っていた。396日目から母親からの輸血を開始した。最初は全血, 後に赤血球のみとした。 死亡した756日目には正常近くまで回復していた。その一方で,血液検査所見から,腎炎が378日頃から進行し慢性化していたことがうかがえる。腎機能の低下による体内電解質の乱れがあり,経口と点滴で電解質バランスの改善を試みた。検死の結果,死亡原因は肺炎であったこと,腎炎が慢性化していたことが確認できた。障害をもったピコを1日でも長く生かそうと努力したが,チンパンジー乳幼児治療の難しさを改めて認識することとなった。障害をもった子どもチンパンジーの健康管理という問題に向き合い,スタッフのそれぞれに重い問いを残した貴重な2年間だった。彼女に感謝するとともに,その冥福を祈りたい。なお,生前の姿をこちらで写真に留めた。

この記事は, 岩波書店「科学」2005年12月号 Vol.76 No.12 連載ちびっこチンパンジー第48回『ピコの思い出』の内容を転載したものです。