さて,前回の話の続きである。前回は,チンパンジーも私たちヒトと同じく「見つめられる」ことに関する感受性が高い,という話をした。最後に「視線」の機能についてふれたが,視線を認識するためには,「目があう」ということだけでなく,「目がそれている」ということも大事である。いや,こちらの方が大事かもしれない。近年の研究から,私たちは自分から目をそらしている他者を見たときに,目がそれている,ということ以上のさまざまな情報を視線から得ていることがわかっている。たとえば,その人は何を見ているのか,なぜ見ているのかなどなど。


図1: 指さす方を見る1歳半のアユム 撮影平田明浩,提供:毎日新聞社
図2: 「顔の向きによる注意の移動」課題を行う6歳のクレオ

他者と注意を共有する

ふたたび人間の親子をよく観察してみよう。、子どもは親の見ているものを見つめ,親もまた,子どもが見ているほうを見る。ときには,積極的に自分の見ているものに注意を向けさせようとする。このような光景は見つめあいと同じくらいあたりまえの光景だ。しかし,このようなことを行うのは人間だけであるといってよい。チンパンジーではまったくといっていいほど見られない。

このような行動は,互いに注意を共有するという意味をこめて「共同注意」と呼ばれる。ただし,この前段階といってよい行動はチンパンジーでも見られる。それは「視線追従」と呼ばれる反応である。いわば「あっち向いてホイ」である。

他者の視線は追従できるが……

岡本早苗さんと私たちは,チンパンジーの子どもが1歳になる前に,この「あっち向いてホイ」実験を行った。方法はいたって簡単。実験者が子どもの目の前で左右いずれかを指さしたり,頭ごとそちらを見たり,目だけでそちらを見たりする。数秒後に,子どもが何をしていようと,実験者が見ていたほうの餌取り口から食べ物を与える。このようなことを繰り返していると,1歳くらいになったとき,実験者が左右いずれかに注意を向けると食べ物が出る前に同じ方に注意を向けるようになる(図1)。

しかし,これは,先の人間の親子のコミュニケーション中に現れる共同注意とは異質な感じがする。人間の親子では,外界の事物に対して共同注意が生じると,その後,ふたたび見つめあい,そしてまた注意を共有する,というように,親と子とものが複雑に入り混じったかたちでコミュニケーションが進展していく。このような「自己—他者—もの」による相互交渉は「3項関係」と呼ばれている。そして,以前にも紹介したように(第26回),このような交渉のかたちは,チンパンジーでは見られないのだ。

チンパンジーはディフェンダーになれるか?

前回も述べたように,私たちヒトは,他者の視線の動きに応じて自分の注意をなかば「反射的」にシフトさせてしまう。これは,私たちの日常経験でも実感できるし,統制された実験室での観察からも明らかにされている。つまり,私たちは,ドリブラーの繰り出す目によるフェイントに,いとも簡単に引っかかってしまう「へたくそ」なディフェンダーなのだ。

では,チンパンジーはどうだろうか。視線を介したコミュニケーションが私たちとは明らかに異なる彼らに,以下のような実験を行った(「顔の向きによる注意の移動」課題)。彼らに要求されるのは,左右いずれかに現れる青い丸をできるだけ速く見つけ出すということだ。ただし,青い丸が出現する前に,左右いずれかを見ている顔が提示される。実際には,その顔がどちらを見ていようが,青丸は左右いずれかにランダムに出現する。つまり,顔や視線の向きには情報としての価値はまったくない。しかし,ヒトでこのような実験を行うと,「視線の向きは無視しろ」とはっきり指示しても,それに引きずられるのだ。ところが,チンパンジーではそうではなかった。基本的には,前もって提示される視線や,顔の向きは後続の課題にほとんど影響をおよぼさなかった(図2)。ただし,顔の向きと青丸の位置が一致する割合を高めてやると(情報としての価値を高めると),顔の向きに引きずられるようになった。

この結果は,チンパンジーでは視線や顔の向きは「反射的」な注意の移動は引き起こさないが,何らかの判断をした上での「随意的」な注意の移動は生じうることを示している。つまり,チンパンジーはドリブラーのフェイクに反射的には引っかからないが,色々なことを判断するのに時間がかかるため,結局はドリブラーに抜かれてしまうことになるのだろう。

他者の心は理解できるか

この2回にわたって,チンパンジーにおける視線の理解の問題を考えてきた。なぜこのトピックが面白いのか。それは,この能力の先には「心の理論」と呼ばれる他者の心的状態の理解が存在するからだ。これこそが,ヒトがヒトたる所以である,と考えている研究者も少なからずいる。少なくとも,チンパンジーには,ヒトと同型の他者理解の様式があるとは思えない。では,チンパンジーにはチンパンジーなりの「心の理論」があるのだろうか。多分そうだろう。では,それは一体どんな…… ? またしても紙面が尽きてしまった。

この記事は, 岩波書店「科学」2006年9月号 Vol.76 No.9 連載ちびっこチンパンジー第57回『目は心の窓、ふたたび』の内容を転載したものです。