撮影:松沢哲郎/ Primate Research Institute, Kyoto University
図2: ティノを抱くグアノと兄のボニファス(左)と

ひと昔前のこと

西アフリカ・ギニアのボッソウ村の周辺の森で,京都大学の野生チンパンジー研究が30年続いている。2006年11月末に首都コナクリで記念の国際シンポジウムを開催した。 8カ国約80人が参加した。

第二次世界大戦前,アフリカの独立国はわずか数カ国だった。戦後,次々と独立を果たした。1958年のギニアもその1つだ。 それまではフランスの植民地だった。今でも影響が強い。 10の主要な部族がいるが,公用語はフランス語ただ1つである。1976年に杉山幸丸氏(元霊長類研究所長)が調査を開始したとき,ギニアはアフリカでもめずらしい共産主義国家だった。 しかも鎖国に近い。セク・トーレ大統領の独裁だ。

わたしが2人目の研究者として調査に参加したのは1986年。前年に軍事クーデターで共産政府は転覆し,軍政がしかれていた。留学中のアメリカから飛行機で,隣国リベリアの首都モンロビアに入った。リベリアはリバティー(自由)に,モンロビアは建国当時のアメリカ大統領モンローに因む。解放奴隷がアフリカに送り返され,彼らが建国の力になった。人口の約4%を占める,英語をしゃべりお金を持った黒人が,お金を持たない現地の黒人を支配する国ができた。

まず,彼らの英語が聞き取れない。ぎゅうぎゅうづめの乗り合い自動車。セダンの定員は,助手席に2人,後部座席に4人,合計6人の乗客と運転手というのが標準だ。むき出しの汗にまみれた腕。強烈な体臭で,鼻を通り越して眼がくらみそうだった。まる1日かけて約600kmを走破し,国境を越えて夕暮れのボッソウ村に着いた。

2人のガイド

翌日,初めて野生チンパンジーを見た。バンという名の裏山の頂上付近だった。わさわさと枝が揺れ,漆黒の毛におおわれたチンパンジーが現れた。距離約10m。こともなげに見下ろしながら,樹上を悠然と通り過ぎてゆく。20年を経た今でも,鮮やかに眼に焼きついている。囚われ人ではない,自由な,森の主だった。

案内してくれたのは,現地のマノン人のガイドだ。グアノとティノが日替わりで交代する。2人ともわたしより10歳ほど年長で, 40歳台半ばの壮年だった。グアノは背が高く眼光が鋭い。黒豹のような感じだ。じっと地面に限を凝らす。落ち葉の踏まれたようすで,チンパンジーがいつごろどちらの方向に通ったかわかる。うしろを黙々とついてゆくと,たしかにチンパンジーがいる場所にたどりつく。名人芸だ。

一方のティノは,気のいいおっさん風である。いつもヤシ酒の香りを漂わせている。歩き出してすぐ「待とう」という。チンパンジーは1時間に1回くらいは大騒ぎをする。ささいなけんかが日常茶飯事だ。耳を澄ませてその声を待つ。声を頼りにかけつけるという作戦だ。格段に発見効率は悪いが,待つあいだにたくさんの話を聞けた。

ボッソウの村人が森に入るとチンパンジーに変身する。チンパンジーが森から出てくると村人の姿になる。ティノいわく,近隣の村人たちはそう信じている。ティノの姓はゾビラ。ゾビラ家はボッソウ村の最初の住人だという。バンの森は聖なる森で,そこに住むチンパンジーをゾビラの人びとは祖先と考えている。トーテムであり食べない。現地の人びとの信仰と30年の研究者の存在により,ボッソウのチンパンジーは人間に慣れた。人口2500人の村に隣接した森に住む, 1群わずか12人の小さな群れ。アフリカ中のどこにもない,人間とチンパンジーの共存する暮らしがある。

命をつないで

国際シンポジウムのあと,快適な4輪駆動のトヨタのランドクルーザーで1050km離れたボッソウ村を訪れた。今は,グアノとティノの息子たちがガイドをしている。ティノの息子ボニファスの案内でチンパンジーを見た。バンの森の頂上に,彼らの道具使用を撮影記録するための野外実験場がある。アブラヤシの種を一組の石で叩き割る様子と,木のうろにたまった水を葉ですくって飲む様子を,同じ場所で見ることができる。

ちょうどジレの一家がやってきた。3年前呼吸器系の流行病で5人のチンパンジーが1カ月たらずのあいだに次々と亡くなった。ジレの当時2歳半になる息子のジマトもその1人だ。 ミイラになるまでその亡骸を持ち続けた。

翌年,ジレは女の子を産んだ。ジョヤと名づけた。「安らかに」という意味のマノン語である。ちょうど1歳になる。母親ジレが石器を使ってナッツを割っている。 8歳になる息子のジェジェもじょうずに割れるようになった。そのかたわらで,ジョヤは種をもったり石を担ぎ上げたりしている(図1)。やがて, 「水飲み」をするために木の幹に穴をあけたところに行って,じようずに葉を使って水を飲み始めた。

ちょうど1年前,ティノが亡くなった。死に目には会えなかった。村はずれにティノの一家の畑があり,その小屋の横につくられた墓に詣でた。ティノには4人の息子がいる。ボニファスの弟,末の息子はグアノだ。ティノが親友の名をつけた。この若いグアノに2カ月前に赤ん坊が生まれていた。祖父の名をとってティノと名づけたという。若いグアノが赤ん坊のティノを抱いている(図2)。

年老いたグアノは寝こんでいた。村を立ち去る朝,見舞った。やせ衰えているが眼だけは光っている。縮れた毛髪が白い。その頭を胸に抱えこんで頬をつけた。帰国後ほどなく訃報が届いた。

撮影:野上悦子/ Primate Research Institute, Kyoto University
図: 石器を使う母親ジレと,様子をのぞきこむ息子のジェジェ8歳,傍らで種を持つ娘のジョヤ1歳
この記事は, 岩波書店「科学」2007年2月号 Vol.77 No.2 連載ちびっこチンパンジー第62回『グアノとティノと研究の30年』の内容を転載したものです。