尾池総長の問いかけ

霊長類研究所の所長になってまもない2006年の夏休み前,京都大学時計台2階の懇親会場で,尾池和夫総長から話しかけられた。「大学には植物園も水族館もあるのに,なぜ動物園はないのですか」答えに窮し,「しばらく考える時間をください」と申し上げた。

京都大学植物園は京都の北白川にある。また,京都大学水族館が和歌山県の白浜町にある。京都大学総合博物館もある。しかし,京都大学動物園はない。そもそも,大学に動物園があるとは寡聞にして知らない。

ひと夏考えた。ようやく考えがまとまって,11月21日に総長にお返事を差し上げた。大学が研究対象として野生動物をもっと取り上げ,動物園と連携して,京都大学らしい社会貢献をするべきだというのが主旨である。

京都大学の動物学教室において,現在の最も重要な研究対象はホヤである。脊索動物から脊椎動物への進化をゲノム的視点から解析するうえできわめて重要だ。また,50年間1200世代以上にわたって暗黒条件下で継代飼育しているショウジョウバエの,遺伝子変異と行動に関する研究も貴重だ。ヤドカリについての優れた研究もある。しかし,動物園にいるゾウやキリンやカバの研究は誰もしていない。京大の培ってきたフィールドワークの伝統を活かし,最新のライフサイエンスの手法を加えて,野生動物の研究を通じたユニークな社会貢献ができると考えた。

野生ゴリラ研究の山極寿一さん,フィールド医学を提唱する松林公蔵さんらを同志に計画の立案を進めた。明けて2007年3月14日,「京都大学野生動物研究センター」という名称が総長から示唆された。その後ほぼ1年間にわたり,学内のさまざまなレベルでの審議を経て発足にいたった。

野生動物研究センター憲章

2008年2月5日,最後の設置準備委員会で「京都大学野生動物研究センター憲章」が制定された。

新センターの拠点は,京都大学本部のある吉田地区にした。そこに教職員の大半がいる。幸島観察所と屋久島観察所という2つのフィールド研究施設を,霊長類研究所から委譲した。1948年に今西錦司らが幸島で野生サルの調査を始めた。その霊長類学の発祥の地をあえて切り出した。天然記念物のサルのいる幸島,世界自然遺産でサルとシカと多様な動植物のある屋久島,その島の全体をさまざまな研究に活用することが,サルの研究の発展にもつながると考えたからである。

2006年秋に,チンパンジーの医学感染実験が廃絶された。その結果77人のチンパンジーが残った。チンパンジー・サンクチュアリ・宇土という保護施設ができ,霊長類研究所が2007年8月から寄附講座としてその運営をしてきた。このサンクチュアリ運営も野生動物研究センターに委譲した。こうした国内研究拠点に加えて,アフリカに6つ,ボルネオに1つの海外研究拠点がある。

大学院教育は,京大の理学研究科生物科学専攻でおこなう。毎年4~5人の採用を予定している。修士の2年間を経て動物園等に就職してはどうだろう。博士から編入することもできる。獣医を卒業したあと3年間,京都にきて野生動物の研究をし,その間にアフリカやボルネオで実習して博士学位を取得する道が開けた。

フィールドワークと動物園

教授として,伊谷原一,幸島司郎,村山美穂の3人がいる。准教授として,杉浦秀樹,田中正之,中村美知夫,タチアナ・ハムルの4人がいる。寄附講座に,中村美穂,藤沢道子,森村成樹がいる。合計10人の教員のフィールドワークの足跡を追えば,南極を含めた全大陸におよぶ。10人中女性が4人だ。外国人も1人いる。幸島と村山の両教授はDNAの解析技術にもくわしい。

教員がこれまで扱ってきた野生動物は,チンパンジー,ボノボ,サイ,イルカ,シャチ,ほかにウシやウズラやイヌなどの身近な動物もいる。10人の兼任教員には,わたしのほかに,ゴリラの山極,ゾウやクジャクの長谷川寿一,アホウドリの長谷川博,噛乳類全般の遠藤秀紀らがいる。

野生動物のフィールドワークは,チンパンジーやボノボやゴリラやオランウータンなど大型類人猿の研究では日本が世界の第一線に立つ。しかし,そのほかの野生動物の研究では大きく遅れをとっている。新センターから,ゾウやキリンやサイやイルカやペンギンの研究者が育ってほしい。

大学と動物園との連携も進みつつある。2007年9月に,京都大学准教授の上野吉一さんが辞職して,名古屋の東山動物園に企画官として就職した。動物園の再生計画を進めるなかで大学とも連携してゆく。2008年4月には,野生動物研究センターの准教授になった田中正之さんが,京都市動物園に常駐して研究を始める。野生動物の自然の生息地での研究と,動物園での環境教育とをつなぐ架け橋の役割を期待したい。

センターの概要については,ぜひウェブサイトを参照されたい
http://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/

この記事は, 岩波書店「科学」2008年5月号 Vol.78 No.5 連載ちびっこチンパンジー第77回『野生動物研究センター発足』の内容を転載したものです。