図: 幸島にてジェーン・グドールさん。撮影: 鈴村崇文

霊長類学60周年に

2008年12月3日,日本の霊長類学は発祥から60周年を迎えた。今西錦司の『日本動物記』第1巻『都井岬のウマ』(1955年発刊)によると,今西さん(当時,京都大学の無給講師)と,伊谷純一郎さんと川村俊蔵さん(当時,いずれも京都大学の学部生)の3人が,初めて幸島に渡ってサルの調査を始めた日である。「幸島では残念ながら,サルに出くわさなかった」という記述がある。

3人は都井岬で野生ウマの調査をしていた。その際,ウマが消えた森林に,偶然にもニホンザルの群れを発見し,木から木へと飛び移るサル,子を抱いた母親,互いに美しい声で呼び合いながら移動していくさまに魅せられたのだった。

今年(2008年)も11月末にジェーン・グドールさんが来日した。東京講演と京都講演のあいだの2日間を,幸島の旅にあてご一緒した。伊谷純一郎さんの令息の原ーさんも加わった。原ーさんは,京都大学に08年春発足した野生動物研究センター(WRC)の教授で,初代センター長である。また。 JGI-Jというジェーンの活動を支援するNPOの理事長も務めている。ちなみにジェーンがゴンベで野生チンパンジー調査を始めた1960年,最初の訪問者が伊谷純一郎さんだったご縁がつながっている。

1日目に都井岬に行って野生ウマを見た。 ぐるりと海が見渡せる。ウマがゆうゆうと草をはんでいた。ウマだけでなく,野生のシカも1頭混じっていて驚いた。幸島と都井岬は,今では自動車で30分ほどの距離である。しかし徒歩でまる1日をかけて山越えしてきた今西さんたちは,さぞたいへんだったろうと,思った。

「イモ」は死んでも文化は残る

今西さんたちのサルの調査によっていろいろなことがわかった。サルの社会は母系で,オスが群れを出る。繁殖期があって,幸島では晩春から夏にかけて子どもを産む。さまざまな音声がある。なかでも有名なのが「イモ洗い」に代表される文化の発見である。

1953年9月。 111番という番号をつけた1歳半のメスの子ザルが,餌付け用のイモを小さな流れで転がしていた。砂を洗い落としているのである。最初の発見者は三戸サツエさんだ。本年94歳,お元気である。幸島の対岸の市来(いちき)という集落に住み,当時は小学校の教師をしていた。父の冠地藤市さんが,戦前に幸島のサルの保護を進める草の根運動を始め,幸島のサルを天然記念物にした。市来には冷泉がわいていて,親子はそこで旅館業も営んでいた。そんな天然記念物のサルが近くにいるということを知っていて,今西さんたちは見に来たのだ。

「イモ」とあだ名をされた111番サルの行動は,2つの経路で群れに広まった。遊び友だちと,血縁である。そうして次の世代はみなイモを洗うようになり,徐々に群れ全体にイモ洗い行動が広まった。最初は海に流れ込む小さな沢の真水で洗っていたのだが,やがて海まで数十メートル運んでいって洗うようになった。塩味をつけるのだ。

文化のもつ重要な側面として,起源と伝播と変容の3つがある。いつ,だれが始めたか。 どのような経路で世代を越えて伝わったか。その間にどのように変化したか。幸島のイモ洗いは,その3つすべてがわかっているという意味で,今日もなお,最も重要な霊長類学上の発見だといえる。

「イモ」は,砂浜にまかれたムギを食べる方法も発明した。砂ごとすくって水に投げるのだ。砂は沈み,ムギだけが水面に浮く。それを食べる。「イモは,サル社会のガリレオ・ガリレイだ」と動物学者フランス・ドゥバールは表現した。幸島のサルはすでに8世代にわたって家系図がある。興味深いことに,「イモ」は天寿をまっとうしてたくさんの子どもに恵まれたが,その子孫たちは,今はすべて死に絶えている。ほかの家系は生き残っている。天才の家系が必ずしも繁栄するわけではない。

ジェーンと訪れた日も,サルたちはイモを洗っていた。だれが始めたかは忘れ去られても,世代を越えて学習され,伝えられていくものがある。文化というものの力を改めて認識した。

1人が100人に想いを伝える

幸島の一夜,蛍光灯の明るさをジェーンが嫌うので,蝋燭を3つ灯した。食後の歓談のときだった。いつも前向きでつねに「希望」について話す彼女が,めずらしく後ろ向きの発言をした。人間社会の軋轢や戦争がなくならない。地球温暖化や環境汚染のような問題も,大気汚染,水質汚染,土壌汚染と, とどまる様子がない。問題解決にはまだ遠い。「どうしたらいい?」という問いかけだった。

自分なりに考えた。 1人が,その一生をかけて,100人に想いを伝えたとしよう。次にそのそれぞれがまた100人に想いを伝える。そうすれば1万人になる。さらに次の世代では100万人,その次は1億人,そして100億人。世界の人口を超える。5世代を越えて伝えていけば,世界中の人びとに想いが届く。

もちろん,問題はそれほど単純ではないだろう。そもそも, 100人なんてとても無理かもしれない。でも,その考えの方向はまちがっていないだろう。

今西さんたちが泊まった旅館が,廃屋として今も残っている。 三戸さんに案内していただいた。2階の窓越しに廊下と障子戸が見えた。その窓から,今西さんや伊谷純一郎さんが,今にも顔を出しそうに思えた。今西さんは,伊谷さんをはじめたくさんの弟子を育てた。伊谷さんも温厚な方で,たくさんの弟子を育てた。その一人が,野生ボノボを世界で最初に研究した加納隆至さんだ。加納さんもとても魅力的な方で,たくさんの弟子が慕っている。伊谷原ーさんもその一人である。

WRCを基盤に,原ーさんが,さらにまたたくさんの弟子を育てるだろう。幸島から始まった日本の霊長類学は,まちがいなく大きな広がりをもって,人間を含めた地球社会の調和ある共存を考える方向へと人びとを導いている。

この記事は, 岩波書店「科学」2009年1月号 Vol.79 No.1 連載ちびっこチンパンジー第85回『ジェーン・グドールと幸島の旅』の内容を転載したものです。