アイ・トラッキング

「目は口ほどにものを言う」とはよく言ったものだが,ことばを使わない動物のこころを調べるためには,目の動きは大変重要な手がかりである。目は情報を取りこむ窓口であり,たとえば風景や写真を見ているとき,視線(注視点)は興味を惹く特定の部位に集中する。また,普段よりちょっと長く見つめたり,あるいは不自然に目をそらしたり,微妙な気分の変化を伝える(あるいは伝えてしまう)のにも,目の動きが有効であることは日常の経験からご存知だろう。

ここで紹介するのはアイ・トラッキングの手法を用いたチンパンジーとヒトの視線の比較研究である。アイ・トラッキングとは文字通り,視線の動きを直接追尾する手法のことで,その人がどこを,どれだけの時間見ているのかを高い精度で特定できる。ヒトとサル(マカク)のアイ・トラッキング研究は古くから行われてきたが,チンパンジーで行われた研究はなかった。霊長類研究所でも何度となく研究計画が浮上しては立ち消えしていた。筆者らの研究が世界に先駆けて初めてである。

アイ・トラッキングではアイ・トラッカー(注視点追跡システム)を用いて被写体の角膜反射と網膜反射の差分を計算し,視線の位置を特定する。従来は,反射のブレを防ぐために,被写体の頭部を固定する必要があった。そのため,チンパンジーでこの方法を用いることは難しかった。しかし,この問題は,比較的画角の大きいアイ・トラッカーを用いることによって解決した。画角が大きいため,被写体の頭部が少しぐらい動いても,視線を追尾することができるのだ。1点を見ているときの誤差も,わずか5~10mmほどである。この手法を用いてヒトとチンパンジーの視線の動きを比較し,ひいては両種に固有の情報処理方略について理解を深める。研究はまだ始まったばかりだが,実験を通してすでに,おもしろい類似点・相違点がいくつかわかってきた。

図1: 提示した写真(左),チンパンジーの視線(中央),ヒトの視線(右)の一例
注視点を円で,注視点の時間的な隣接を線で示す。長く停留した注視点ほど大きな円で描く.両種ともに提示時間は3秒

ヒトとチンパンジーの視線パターンの類似と相違

実験では,モニタ上に写真を提示して,ヒトとチンパンジーにその写真を自由に見てもらった。チンパンジーには事前にモニタの前に座る訓練をしてある。提示したのはヒト・チンパンジーいずれか1個体全身を写した(背景を含む)風景写真である(図1)。

結果,ヒトもチンパンジーも,ヒト・チンパンジー写真いずれにおいても人物/動物像,とくにその顔部位を長く注視した。両種ともに顔は多くの情報を伝える重要な部位だ。これは当然,予想されるパターンだろう。顔を注視する持続時間のほかにもうひとつ興味深かったのは,顔を見る回数とタイミングも,両種でほとんど同じだったということだ。とくに,両種とも写真を提示した直後に顔部位を注視することが多かった。細かく比べてみて改めて驚くのは,ヒトとチンパンジーの視線の運動パターンが実によく似ていること。なるほど,チンパンジーはヒトに最も近縁な種である。

ただし一方で,無視できない大きな種間差も明らかになった。まず,顔を見る1回あたりの注視時間は,ヒトに比べてチンパンジーで圧倒的に短かった(チンパンジーで平均300ms,ヒトで平均680ms)。顔を繰り返し見る回数自体はチンパンジーもヒトと同じでも,チンパンジーは短く,すばやく通り過ぎるように顔を見るようだ。また,興味深いことに,チンパンジーはヒトに比べて体部位をより長く,より頻繁に注視することが多かった。もしかすると,チンパンジーよりもヒトは,情報源として体よりも顔に特化しているのかもしれない。写真全体の見方に注目すると,チンパンジーはヒトよりもより頻繁に,より大きく注視点を移動させることが多かった。ヒトは写真の特定部位を1回1回じっくり見るが,チンパンジーはあちこちをせわしなく見るということだ。意味処理の違いを反映しているのかもしれない。 ヒトのほうがじっくり見る分,深く意味を処理する。ただし,じっくり見る分,ほかのものに注意を割くことができない。 チンパンジーのせわしない目の動きは,短時間に多くの風景部位を処理する方略なのかもしれない。

研究の発展

紹介した実験は,英国王立協会紀要に掲載された(1)。この実験は,ヒトとチンパンジーの視線パターンの類似と相違を明らかにするとともに,視線の種比較研究の1つの方法論を例示した点でも意義がある。

研究の展開に興味は尽きない。顔の各部位(目・鼻・口・耳)に対するチンパンジーの注視パターンはヒトとどのように異なり,また類似するのだろうか?気分の変化によってチンパンジーの視線の動きはどのように変わるのだろうか(情動の影響)?チンパンジーのせわしない目の動き方は,ヒトのゆっくりとした見方に対してどのようなときに有利となるのだろうか?チンパンジーは抽象絵画(ピカソ・マチス)をどのように見るのだろうか!? すべて試してみたい。

この記事は, 岩波書店「科学」2009年5月号 Vol.79 No.5 連載ちびっこチンパンジー第89回『チンパンジーはどのように写真を見るか?』の内容を転載したものです。