行為の主体感の基盤となるもの

自発的な行為に伴う「自分がおこなっている」「自分がそれを引き起こした」という感覚を「行為の主体感(Sense of agency)」と呼ぶ。このような感覚は,わたしたちの生活を意義あるものにする中心的な心的機能といえるだろう。「わたし」は,ただ肉塊としてここにあるのではなく,主体的に環境に働きかける存在としてここにあるのだ。主体性を感じることをなくしては,責任もやりがいも消失してしまう。チンパンジーにもこのような感覚は備わっているのだろうか。

「行為の主体感」が成立するためには,観察されたできごとが自分のせいで生じたことなのか,あるいは自分以外の何かが原因で生じたのかを区別する認知過程が必要だ。たとえば次のような場面を想像してほしい。TVゲームを友人などと一緒におこなう場合だ。各人がおのおのコントローラーを握っている。ゲームに熱中していると,ときどき,どのキャラクターを誰が操作しているのか混乱してしまうことがある。しかし,それはほんの一瞬のことだ。少し続ければ,すぐに自分の操作しているキャラクターがわかる。 もし自分が操作していたなら,そのキャラクターに対して,自分がコントロールしている,自分が動かしているのだという認識が成立する。

チンパンジーに同じことをさせると,画面に写しだされたキャラクターを操作しているのは自分かそうでないのかがわかるだろうか。このような状況を実験室で再現することで,行為の主体感の基盤にある認知機能を調べることができるだろう。

トラックボール実験

実際にはチンパンジーに,ゲームのコントローラーのかわりにトラックボールを操作してもらった。ボール式のマウスを裏返して直接ボールを回すようにした装置がトラックボールだ。次のような実験課題をおこなった。

まず,タッチパネルモニタ上に,スタートキーが表示される。これに触れると2つの白丸のカーソルが表示される。1つのカーソルは,チンパンジーがトラックボールを使って操作できる。もう1つのカーソルの動きは,コンピュータプログラムによって決められる。この操作場面は数秒経過すると終了し,カーソルの色が白から赤に変化する。このときチンパンジーは,2つのカーソルのうち自分が動かしていた方に触れることを要求される。要するに,操作する時間が最初に与えられ,その後「自分が動かしたカーソルはどちらかわかりますか,選んでください」という課題だ(図1)。

事前に課題になれてもらうための訓練をおこなった。訓練では,コンピュータ側のカーソルは単純な往復運動をする。チンパンジーの動かすカーソルは,往復運動のような規則正しい動きをしない。「自分が操作している」という認識がなくても正解のカーソルかわかってしまう。2つのカーソルの運動パターンが異なるため「見た目」で区別がつくのだ。この実験でカギとなるのは,「見た目」だけではどちらが正解か区別がつかない場面を設定することだ。そして,「自分が操作している」という認識が不可欠な場面をつくる必要がある。

いざテスト

そこで本番のテストでは,「同じチンパンジーが以前に操作していたカーソルの軌跡」をコンピュータ側のカーソルで再生した。これはあらかじめ,コンピュータに記録しておいたものだ。こうすることで,2つのカーソルの運動パターンは見かけの上では区別ができない。しかし操作している本人なら,どちらが正解か気づくことができるという場面ができる。

実験に参加した4人のチンパンジーのうち,3人が正しい方のカーソルを選択することができた。しかし,細かくチェックしてみると,「自分が動かしているのはどちらかわかっている」と確信できる結果が得られたのは1人のみであった。ほかの3人では「見た目」の運動パターンで選択しているのか,「自分が動かしている」ほうを選択しているのかを明瞭に区別することができなかった。ヒトに対してこのような実験をする場合,言葉による質問と報告を用いることがほとんどだ。われながら,言葉で何かを伝えることのできない相手に,よくここまで複雑な課題をやってもらえたと思う。今後,実験手法をより洗練する必要があるだろう。しかし,1人ではあるが,行為の主体感の基盤となる認知機能をヒト以外の動物で示す初めての証拠を得ることができた。

チンパンジーたちは実に多様なやり方で環境に働きかける。相手を脅すために石を投げつけたり,美味しい木の実を得るために道具を使って硬い殻を砕いたりすることもある。そんな彼らも,何が自分自身のおかげ(あるいは自分のせい)で,何が自分によるものではないのかをちゃんと知っているそんなことを感じさせてくれる実験結果だった。

この記事は, 岩波書店「科学」2009年6月号 Vol.79 No.6 連載ちびっこチンパンジー第90回『行為に宿る「わたし」』の内容を転載したものです。