チンパンジーの高齢者を観察するため,ギニア共和国ボッソウに通っている。わたしは老年科の医師である。臨床医として人間の老化を観察してきたが,縁があり,ヒト科の仲間チンパンジーに範囲を広げて研究することになった。

2008年2月から2009年9月までに3回,ボッソウを訪れた。ここには13人のチンパンジーが暮らし,そのうち5人が50歳前後と推定されている。野生チンパンジーの寿命は約50年といわれているので,かなりの高齢化社会だ。

人間は加齢とともに身体機能や認知機能が低下し,社会的立場や役割が変化する。社会の中で尊重される一方で,ときには軽視されながら晩年を迎えることも少なくない。心身機能の衰えの自覚や,喪失体験の中で,抑うつ的になることも多い。では,チンパンジーは,どのように老いるのだろうか。高齢者の生活の質の維持と向上を目指してきた私は,「チンパンジーにおける老いとは何か」を知りたいと思った。

高齢のチンパンジー

野生チンパンジーにまず驚いたのは,森の中でいきいきと自由に暮らしていることだ。飼育チンパンジーと同じ生き物とはとても思えない。

ボッソウの50歳前後のチンパンジーたち5人を紹介しよう。まず唯一の男性のテュア。彼は,若者に負けずカクシャクとしている。木から木へ身軽に飛び移るし,発情した女性と連れ立って旅に出ることもある。高順位の男性にみつからないように気をつけながら,女性としっかり交尾もできる。しかし若者のように,荒々しく力を誇示するような無駄な動き方はしない。

次に女性のジレ。彼女もまだまだ若々しい。現在,4歳の娘の子育て中だ。チンパンジーは1人の子をしっかり育て上げてから次の子を産む。出産間隔は平均5年だ。そろそろ次の赤ちゃんが生まれるのではないかと皆で期待している。しかし,最初に出会ったころに比べると,やや毛艶が落ちた。興味深いことに,毛づくろいの際,必ず目を30~40cm離す。つまりチンパンジーにも老眼があることを発見した(図1)。

それからファナ。娘のファンレが群れに残って子育てしているので,孫がいることになる。彼女はとても怖がりで,すぐ薮の中に隠れてしまう。15年ほど前に左腕を痛めて,ほとんど使えないというハンディをほかの3肢でカバーしている。この障害があるので老化による機能低下は早いかもしれない。継続観察が必要だ。

次はベル。彼女は群れの中に自身の子が残っていない。おっとりのんびりした性格だ。ときには,ぼんやりしているのではないかと感じられる。孤独を好むのか,1人で過ごすことも多い。

最後にヨ。息子のヨロが,現在,群れの第1位の男性である。ヨは,外見は一番よぼよぼしており,背中も曲がっている。咀嚼に時間がかかることから,口腔機能の低下が疑われる。右膝が曲がっていて,少し歩くとすぐ座って休む。群れからも遅れがちだ。それでもまだ木に登って採食する。チンパンジーには閉経がないという説もあるが,現地助手によると,ここ数年発情がみられない。どうも閉経しているようだ。

人間とチンパンジー,それぞれの生き方

「おばあさん仮説」というのがある。人間だけが寿命を延ばして,孫の世話をする「おばあさん」をつくるように進化したという説である。チンパンジーには「孫の世話をする祖母」という役割がない,というのが通説だ。チンパンジーの社会は父系社会で,女性は年頃になると,生まれた群れからほかの群れに転出する。したがって,娘は群れに残らないので,そもそも孫(娘の子)の世話をする機会がない。

しかし,野生でもまれに娘が群れに留まって出産する例がある。ボッソウの場合のファナが,その祖母となった例だ。彼女は孫を抱いたり,背中に乗せて移動したりすることもある。娘が離れた場所で採食している間,孫が彼女のところで過ごすこともある。ボッソウでは,もはや子は産まないが長生きしている女性が,群れに残った娘の子育てを手伝っているようだ,ただし,これまでの例では第1子の子育てが落ち着くと,やはり若い女性は群れを出て行っている。今後を見守りたい。

人間もチンパンジーも1人では生きていけない。ただ,人間には自己を犠牲にしても相手を助けるという行動がしばしばみられる一方で,チンパンジーには,あまりそうした行動がみられないように思う。たとえば,高齢のヨが若い男性チンパンジーにいじめられて, 怒ったり泣いたりすることがある。しかし,息子であるヨロは,自分の母親だからといって,すぐにかけつけて助けたりはしない。人間からみると,ちょっと奇妙に思える。

また,感情の表し方も違う。チンパンジーは感情をストレートに表現する。しかし,それがあまり長く続かないし,あとをひかない。淡々と自分の生き方を貫いているようにみえる。

人間とチンパンジー,どちらも素晴らしい生き方をしているが,人間にはチンパンジーに学ぶべきことが多いと感じることも少なくない。

DNAの塩基配列でわずか1.2%の差は,老化については何を語るのだろうか?現在,日本人の平均寿命は82歳だが,100歳まで生きる人はそのごく一部であり,120歳まで生き延びるのはほとんど不可能だ。世界最高の医療を受けられる日本人でも,栄養や医療など環境の整った飼育チンパンジーでも,歳とともにやがては弱り死んでいく。その意味で,私たち人間にとって進化の隣人チンパンジーの老化は興味深い。野生環境で,彼らが晩年にとる行動と仲間の対応を調べることは,生物の老化,さらに高齢社会を迎える人類にとって重要なヒントになるだろう。なぜなら,「老化」は,すべての動物の一生で最も疑いのない普遍的な現象ではありながら,多くのことがまだ謎に包まれているからだ。

この記事は, 岩波書店「科学」2009年12月号 Vol.80 No.12 連載ちびっこチンパンジー第96回『ボッソウ村に住むおばあさんチンパンジー』の内容を転載したものです。