Credit: 林美里/Primate Research Institute, Kyoto University
図1:母親に抱きついている赤ちゃんをのぞきこむチンパンジーの子ども.

子どもの発達

ヒトもチンパンジーも,赤ちゃんとして生まれてから,おとなになるまでの長い発達の過程がある。子どもがどのように発達していくのか,という問いは研究者だけにとどまらず,親をはじめとする周囲の人びとにとっても興味深いだろう。ヒトやチンパンジーでは,すべての行動が,生まれたときから遺伝的に組み込まれているわけではない。成長していく過程でたくさんのことを学び,周囲の環境に柔軟に対応しながら生き抜くための知性が発達していく。無力な状態で生まれる子どもの発達は,そばで守り育ててくれる親の存在に大きく支えられている。

わたしは,霊長類研究所で2000年に生まれたチンパンジーの子どもの発達を研究するかたわらほぼ1年に1回の割合で,西アフリカのギニア共和国・ボッソウ村で野生チンパンジーの観察をしている。物や道具の扱いかたの発達を調べるのが主な研究の内容だが,その過程でチンパンジーの母子関係についても学ぶことが多い。今回は,わたしなりに子どもの育ちについて考えてみたい。

チンパンジーの子ども

チンパンジーの赤ちゃんは,常に母親に抱かれている。空腹になると自分でもぞもぞと頭を動かして乳首をくわえるので,ヒトの赤ちゃんと違って大声で泣くことが少ない。赤ちゃんは母親の毛をしっかりと握りしめたまま,外の世界や興味津々でのぞきこんでくる仲間たちの顔を見ている(図1)。1歳ころになると,子どもが母親から離れて,ともだちや面倒見のよいおばさんと遊ぶ姿も見られるようになってくる。ただし,何かがおこると子どもはすぐに母親のもとに戻るし,母親のほうも離れた場所にいる子どもを常に気にかけて静かに見守っている。

5歳ごろになると,子どもが母親から離れてけんかに参加したり,子ども同士のけんかに親が関わらなくなったり,母親が授乳を拒否したりすることが増えてくる。さらに成長すると,子どもも母親も互いに独立してすごす時間も増えてくるが,長い通路を隔てて実験室に行くときなどには,9歳になったアユムらも,母親と一緒に移動することが多い。完全な親離れ・子離れにはもう少し時間がかかりそうだ。

アフリカのチンパンジーも飼育下のチンパンジーも,基本的には同じような発達過程をたどる。野生のチンパンジーの場合には,5歳ごろになると弟妹が生まれることが多いため,より子どもの独立が促される。娘は思春期以降になると隣接する群れに移籍していき,息子は男性同士ですごすことも増えておとなの振る舞いを身につけていく。

チンパンジー流の子育てとサポート

チンパンジーの子育てでは,ヒトのように育児書やマニュアルで勉強できるわけではない。とくに初産では,妊娠から出産までの身体の変化や,新生児の扱い方など,わからないことだらけだろう。野生の場合,周りに先輩の母親がいるので,見よう見まねである程度のことは学べるようだ。飼育下の場合は周りにお手本が少ないこともあり,ほぼ半数で育児拒否がおこってしまう。無事に母親が子どもを抱き上げたとしても,うまく授乳ができないこともある。

チンパンジーの母親と子どもの関係は非常に濃密で,うらやましい部分もある。子どもに何かできないことがあっても,積極的にそれを教えこむことはない。ひたすら自分がやっている姿をお手本として見せることで,子どもの側が自発的に学んでいく。また,自分の子どもをほかの子どもと比較したり,周囲からの評価を気にしたりすることがない。ヒトのように口やかましく注意することはないが,嫌なことをされたときにはしつけをするように,子どもに怒ることもある。

一方で,チンパンジーの新生児は常に母親にしがみついているので,子どもから離れて自由になれる時間は存在しない。ヒトと同様に,チンパンジーの母親にも育児ストレスは少なからずあるだろう。霊長類研究所では,母親以外のおとなのチンパンジーたちも子どもと同じ群れに暮らしている。子どもが少し母親から離れるようになると,血縁関係がなくてもおばさんやおじさんが子どもの面倒を見ることもでてくる。野生でも子ども同士で遊んだり,ほかのおとなたちと遊んだりして,子どもが母親の手から離れる時間ができてくるようになる。

2009年末,ボッソウの野生チンパンジーで面白い事例を観察した。ファンレという若い母親が,2歳になるフランレという男の子を育てている。フランレにはファナという祖母がいる。何人もの子どもを育ててきたベテランだ。一方,若くて体つきも華奢な母親のファンレにとって,元気いっぱいのフランレの子育ては大変なことも多いだろう。

祖母が近くにいると,孫のほうから近寄って遊んでもらうこともある。母親のほうは,その間にせっせとナッツを割って食べていた。集団が移動をはじめると,孫がぴょんと祖母の背中にとびのって,運搬してもらっていた。

チンパンジーではおばあちゃんが孫の面倒をみることはないといわれていたが,状況次第でおばあちゃんが娘の子育てを助けることもあるようだ。

チンパンジーとヒトの子育て

ヒトの子育てとチンパンジーの子育てを比べると,いろいろな違いがみえてきた。野生チンパンジーの調査の際に目にするアフリカでのヒトの子育ても,現代日本の子育てと比べると違いがあるように思う。アフリカの母親はいつも赤ちゃんを腰に布で巻きつけて,日々の仕事をこなしている。大きい子どもはしっかりと下の子どもの面倒をみたり,自分にできる家事の手伝いをしたりする。

今後,さらに多様な視点から比べることで,既成観念にとらわれない子育ての新たな魅力がみえてくるかもしれない。

この記事は, 岩波書店「科学」2010年3月号 Vol.80 No.3 連載ちびっこチンパンジー第99回『発達と育児』の内容を転載したものです。