Credit: Etsuko Nogami / Primate Research Institute, Kyoto University
図: ジレとその子どもたち. 母親の割った種の中の核を取ろうとする娘のジョヤ 1歳半と,背後でひとりで石器を使う息子のジェジェ8歳.2005年12月.撮影:野上悦子.

ジレと8人の子どもたち

アフリカのボッソウの野生チンパンジーを見始めて25年目になった。見続けることで,彼らの暮らしが見えてくる。一見すると同じような毎日が繰り返されるのだが,そこにはけっして後戻りすることのない,歴史ともいえる大きな時間の流れを見ることができる。ジレという女性チンパンジーに焦点を当てて,その半生を振り返ることで,この時間の流れをみてみよう。

最初の出会い

1986年2月,厳寒のニューヨークを飛び立って,西アフリカのリベリアに着いた。はじめてのアフリカ。単身の旅である。早朝,首都のモンロビアから乗り合い自動車で北上し,国境を越えてギニアに入った。夕方になって目的地のボッソウという小さな村に到着した。霊長類研究所の先輩である杉山幸丸さんの調査地である。アフリカの奥地で旧知に会い,ほっとして固い握手をした。

翌朝,村の裏にあるバン山に登った。頂上付近で,はじめて野生チンパンジーに出会った。樹上を渡って行く。さわさわと葉ずれの音を立てながら,ゆっくりと枝から枝へと移る。朝陽を浴びて,全身の黒い毛がつややかに光っていた。おなかに小さな子どもがしがみついていた。子連れの女性である。それがジレとの最初の出会いだった。

当時,彼女にはジエザという8歳の男の子と,ジャという2歳の女の子がいた。兄と妹,2人の子どもをもった若い母親だ。息子は,ボッソウの20人ほどの小さな群れのナンバー2にまで登りつめたが,10歳のときに突然,行方不明になった。その翌年,ジャの5歳下にジョクロという女の子が生まれた。ジレの子どもは,姉と妹という組合せになった。しかし,この妹は2歳半のときに,風邪をこじらせて亡くなった。遺骸を母親はいつまでも手放さなかった。異臭を気にしない。丹念にハエを追う。きれいなミイラになった。

きょうだい,親子の関係

妹のジョクロが死んだ1年後,9歳になった姉のジャは群れを離れた。これで群れにジレの子はいなくなった。でもすぐにジュルという女の子が生まれ,4年後には,その下に5人目の子どもとしてジェジェという男の子が生まれた。姉と弟という組合せだ。ジュルは姉と同様に8歳で群れを離れた。その翌年,ジェジェの下に6人目の子どものジマトが生まれた。男の子だったので,兄と弟という組合せになった。これで,ジレの子どもたちのおかげで,兄弟姉妹の男女4つのすべての組合せを見せてもらったことになる。

そこでわかったのだが,チンパンジーの子どもは,男の子も女の子も,大きくなると弟妹の面倒をよくみる。母親がするように,抱っこのかっこうで,あかんぼうを腹にしがみつかせる。子守りといえるふるまいだ。逆にいうと,弟妹が生まれると,もはや独り立ちの時期だ。母親とあかんぼうの傍らで過しつつ,徐々に親元を離れていく。

男の子は,群れのほかのおとなの男性と行動をともにするようになる。おとなの男性が連れだって行動し,尻がピンクに染まって腫れあがった排卵期の女性のあとをついてまわる。女の子は母親のそばにいるが,徐々にその距離が遠くなる。10歳前に初潮を迎える。ボッソウの群れの過去のすべての事例で,女性は最初の子どもを産む前に群れを出るか,1人産んだあとに群れを出る。

ジマトが1歳1カ月を迎えた冬の乾季に,群れに呼吸器系の感染症がまんえんし,5人のチンパンジーが一度に亡くなった。ジマトもその1人である。母親のジレは,また亡骸を手放さなかった。けっきょく死後68日間持ち歩いた。同時期に最初の子どもを失ったブアブアという若い母親がやはり同じように亡骸を持ち歩いた。ジレを見習ったのかもしれない。

はてしない物語

子どもを亡くしたジレはすぐに身ごもった。ジマトの死から10ヵ月後に生まれた7人目は女の子で,ジョヤと名づけられた。息子のジェジェが群れに残っているので,兄妹という組合せの子どもたちである。ジョヤはすくすくと育ったが,2009年の夏,4歳10ヵ月でとんでもない目にあった。右手がわなにかかった。跳ねわなという,木の枝をたわめて,その先に針金の輪をつくり,小動物が通りかかるとパッと跳ねて針金でしばりあげるしかけのわなである。

ちょうど母親から離れて独り立ちするころが危ない。ボッソウではちょうど20年前にも,ユンロという5歳の女の子が針金のわなにつかまった。片足にわながからみつき,足を引きずりながら歩いていた。 今回のジョヤは手だ。 中指,薬指,小指の3本の指に,針金がきりりと食い込んだ。血流をとめてしまい,1ヵ月ほどして,とうとう小指の先がぽろりと落ちた。ほどなく,残っていた針金も取れた。幸い事後の経過もよく,ジョヤにも快活さが戻った。

針金わなの事件から3ヵ月後,2009年11月18日に,ジレが8人目の子どもを産んだ。ジョドアモンと名づけられた。現地のマノン人のことばで「希望」という意味だ。母親は新生児をしっかりと抱きしめているので,なかなか性別がわからない。1ヵ月後のクリスマス・イブにわたしが確認した。イチジクの木の上の母子を,真下から双眼鏡でじっと見続けて,女の子だとわかった。

息子のジェジェに,ジョヤ,ジョドアモンと加わって,ジレには男女女という3人の子どもたちがいることになる。はじめて3人のきょうだい関係を見ることができる。どんな暮らしぶりになるのだろう。ジレは8人の子どもを産んだ。2人を病気で亡くした。 野生チンパンジーの子どもは4歳までに約3割が亡くなる。

あかんぼうのジョドアモンは,ボッソウのチンパンジーにとって,そして彼らを見守る人間にとって,未来につながる希望だといえる。

この記事は, 岩波書店「科学」2010年4月号 Vol.80 No.4 連載ちびっこチンパンジー第100回『野生チンパンジーの半生』の内容を転載したものです。