コンピュータ課題にむかう、四肢不全麻痺リハビリ中のチンパンジー・レオ
図: コンピュータ課題に挑むレオ。撮影:友永雅己

レオを歩かせる

本誌連載第94・95回(2009年10月号2009年11月号)でも紹介したが,霊長類研究所には四肢不全麻痺から立ち直りつつあるレオというチンパンジーがいる。そのレオが,彼自身とスタッフたちの努力により,よちよちと座り歩きをはじめるようになった。そこで,レオに何とかしてもっと自発的に歩いてもらおうと考え,新たなリハビリをはじめることにした。それは,研究所のほかのチンパンジ一たちが日々おこなっているコンピュータを使った認知課題を組み入れたものだ。

従来の実験装置の場合,課題用のタッチパネルの真下にごほうびが出てくる受け皿を設置している。しかし,レオのための装置では,タッチパネルと受け皿を離した。タッチパネルに出された問題に正解すると,背中越しに設置された受け皿にごほうびの食べ物が落ちてくる。その距離およそ2m。元気なチンパンジーたちにとっては,どうということはない距離でも,レオにとっては、はるか彼方といった感じだろう。それでも食いしん坊のレオは,がんばって歩いてくれるかもしれない。私たちはそう期待した。

歌を忘れたカナリア?

レオのために用意した認知課題は,比較的簡単なものだ。タッチパネルの画面に図形や写真が3~4枚現れる。そのうちの1枚は,常にほかのものとは異なる。レオは「間違い探し」をすればいい。今年で28歳になるレオだが,子どものころには,ほかのチンパンジーたちと同様コンピュータ課題に精を出していた。20年くらい前の話だ。だから,問題をはじめるためのスタートキーがタッチパネルに出現したら,すぐにでもそれに触って課題をはじめてくれるものと思っていた。しかし,私たちの期待はもろくも崩れ去った。

このリハビリの初日,広い居室の一角にあるベッドの上に座っていたレオを,対角に設置されたタッチパネルのところまで誘導した。よちよちとレオがやってくる。そこでいったんごほうびにピーナッツをあげたあと,画面をオンにして青い四角形のスタートキーを提示したその瞬間,レオは少し身じろぎしたかと思うと,やおら体を反転させ,ベッドの方に戻って行ってしまった。

レオは歌を忘れたカナリアになってしまった?いや,忘れていたのはこっちの方だ。彼には臆病なところがあることを思い出した。

それでも,スタッフたちがなんとかタッチパネルの画面を触らせようと努力した。おかげで,まったく寄りつきもしなかったレオが,不承不承ながらタッチパネルのところにやって来るようになった。そこで,まずはじめは画面を触ればそれでOKというところからスタートすることにした。

レオは,私たちに促されておっかなびっくり画面に触れる,いや,パンチするといった感じだ。すると同時にチャイムが鳴り,背中越しに設置された給餌器が作動して,食物片を受け皿に落とす。その作動音や食べ物が落ちた音を聞き,受け皿に落ちた食べ物を見て,レオがそちらに向かってよちよちと歩き始めた。なんとか第一歩はクリアできた。あとは,画面を少しずつ明るくし,画面全体をおおっていた青い四角形の大きさを,徐々に小さくしていった。その四角形のところを触ればいいのだということを,レオは即座に学んでくれた。レオは歌を忘れてはいなかった。

課題に挑む

次のステップは課題の学習だ。ある日から,スタートキーに触れたあとに,先に述べたような間違い探し課題を提示することにした。はじめにトライしてもらったのは,明るさの弁別だ。画面に現れた3枚の四角形のうち1枚は青,残り2枚は白。白よりも暗い青の四角形に触ればチャイムが鳴ってごほうびがもらえる。はじめのうちは,まったくでたらめにやっていたのだが,しばらくするとほとんど間違えなくなった。すごい,さすがはレオ。昔取った杵柄といったところか。

ところが,正解を重ねると面白い行動をとるようになってきた。次の問題が出るまでの間隔を5秒程度に設定すると,1回正解しても食べ物を取りに行かなくなってしまったのだ。ごほうびが何個か貯まるのを待ってからよっこらしよ,と取りに行く。それではリハビリにならない。そこで,間隔をもっと延ばすことにした。20秒程度に設定すると,しぶしぶ毎回,取りに行ってくれるようになった。課題の方も,今ではいろいろな問題にチャレンジしてくれている。写真の見分け,色の弁別,数の大小の判断など。生徒としては,ほかの元気なチンパンジーと遜色がなくなってきた。

レオは大海をめざす, かも

2009年の11月頃に,この認知課題を取り入れたリハビリをはじめ,そろそろ半年になろうとしている。その間,レオも私たちも,試行錯誤を重ねてきた。当初,朝から夕方までいつでも課題をできるようにしていた。レオもがんばって挑戦しててくれているので,こちらもどんどんやらせる。でもこれが固まった彼の膝関節や足の親指に,想像以上の負担をかけているようだ。

この半年の間に,課題をやりたがらなくなることが何回かあった。そんなときはいつも,足をひねっていたり,親指の関節が腫れていたりしていた。歩くことで太ももの周りに筋肉はついてきたようだが,やりすぎはよくない。現在は,午前と午後の2時間ずつの2回のみコンピュータが起動するようにしている。ファンファーレが鳴り響いて課題のはじまりを告げると,レオは喜び勇んでタッチパネルまで歩みはじめる。

コンピュータの記録をみると,レオが解いた問題の数は,1万5000を超えている。タッチパネルから受け皿までの距離の往復は,約4m。気がつけば,60km以上も「歩いている」ことになる。研究所のある犬山市から木曾川を下っていくと,60kmくらいで伊勢湾にたどりつく。レオはそれだけの距離を歩いてきたのだ。そして今日も,その先の大海をめざしてよちよちと歩き続けている。

この記事は, 岩波書店「科学」2010年5月号 Vol.80 No.5 連載ちびっこチンパンジー第101回『レオのリハビリテーション(その2)』の内容を転載したものです。