死後17日たった子供のミイラを運ぶ母親チンパンジー
図左: ベベの遺体を背中に乗せて運ぶ母親ブアブア
図右:死後17日たったジマトのミイラを運ぶ母親のジレ

チンパンジーの死体に対する行動を詳述した2つの姉妹論文が『カレント・バイオロジー』に掲載された。これを契機に,チンパンジーによる死児の世話について考えてみたい。

論文のうち1つはイギリスの心理学者アンダーソンらによる。タイトルはそのものずばり「チンパンジーの死生学」である(1)。動物園のチンパンジー4個体のうち,老齢の女性が亡くなった。その死に対する他のメンバーの行動を報告している。死を確かめるように体をゆする。死者のそばに寄り添って離れない。わめき騒ぐ。 亡骸が運び出されたあと,しばらくのあいだその場所に近づかない。そうした行動について,人間が死者を弔う行動と対比されて記述されている。

もう1つは,われわれの国際研究チームが報告した,野生チンパンジーによる死児の世話についての観察報告である(2)。西アフリカのギニアのボッソウの研究だ。過去25年間に,子どものチンパンジーが亡くなった例が3件ある。ジョクロ,ジマト,ベベだ。その3件とも母親は,子どもがミイラになるまで持ち運んだ。青年や年寄りの死体を見つけた例は,同じ期間で3件ある。ンペイ,カイ,ポニである。おとなが亡くなっても,だれも持ち運んだりはしない。しかし2歳半までの子どもが亡くなると,母親は必ず持ち運んだ。

ジョクロ,ジマト,ベベを持ち運ぶ

1例目は1992年の1月だった。母親はジレで,亡くなったのは2歳半の娘のジョクロ。風邪をひいたようだ。徐々に弱って死ぬまでの16日間と,死後の27日間を松沢が観察した。帰国のため観察を打ち切ったとき,ジレはまだ遺体を持ち続けており,いつ手放したかはわからない。

2例目と3例目は,2003年11月から2004年1月にかけてである。呼吸器系の感染症が群れに蔓延して5人が亡くなった(2004年3月号,連載第27回参照)。そのうちの2人が子どもだった。母親ジレがまた,息子を亡くした。1歳2ヵ月のジマトだ。死亡は11月末で68日間持ち運んだ。その1カ月後,若い母親ブアブアが2歳半の娘ベベを亡くした。死亡は12月30日と推定され19日間持ち運んだ(図)。この時期に調査をしていたわれわれのチームのハムル,クープス,ソウザ,ビロ,林,松沢の6人が,この2例の子どもの死にゆく過程と死後を観察した。2004年の初頭には,2人の母親チンパンジーがともに死児を背中に背負って歩く悲惨な姿を見たことになる。

3件に共通した点が3つある。(1)子どもが亡くなってもすぐには手放さず,最短で19日間(ベベ),最長で68日間(ジマト)死体を持ち続けた。(2)母親は子どもを毛づくろいしたり,たかるハエを手で追い払ったりした。木の枝をうちわのように使って追い払った例もある。だいじに持ち運んだので腐っても壊れずミイラのようになった。(3)他のメンバーは遺体をとくに忌避したりはしなかった。子どもチンパンジーが死体を引きずって遊ぶようすが観察された。まるで生きているときと同じように,木のまわりをぐるぐるまわって追いかけっこをするようなしぐさだ。

母親ブアブアのふるまい

母親ジレは,ボッソウで一番多産なチンパンジーである。1976年に杉山幸丸が観察を開始してから現在までに,合計10人の子どもを産んだ。子どものジョクロやジマトをミイラになるまで持ったとしても,彼女に特異な行動かもしれない。興味深いのは母親ブアブアの例だ。

ブアブアが9歳のとき,仲間のチンパンジーがハイラックスというタヌキのような動物を捕まえてなぶり殺しにする事件があった。ボッソウのチンパンジーは「ベジタリアン」で,動物を殺しても基本的には食べない。もてあそぶだけだ。このとき,ブアブアはハイラックスの死骸を拾い上げてだいじに持ち歩いた。夜は樹上のベッドで胸に抱いて毛づくろいした。まるであかんぼうの世話をしているように見えた。翌日も死体を持っていたが,腐敗が進んだからか,昼過ぎに手放した。ぽとりと落として拾わなかった。つまりほぼ丸1日持ち歩いたことになる。

翌年,彼女は10歳で身ごもった。生まれてきた娘がベベだ。初産である。2歳半で亡くなった。亡骸はハイラックスのときとまったく同じように腐敗が進行する。とてつもない悪臭で,ハエがたかる。しかし,彼女のふるまいは明らかに違っており,子どもの亡骸をだいじに持ち運んだ。それは,まるで先輩ジレを見習うかのようだった。


死を弔う行動の進化的起源

人間以外の霊長類で,死児を持ち運ぶことは広く知られている。杉山らによる高崎山のニホンザルの6000例を超える出産の観察のなかで,157例の死児の運搬が見られた。生まれてすぐに死んだ子は持ち運ばない。生まれて1日でもしがみついていると,約10例に1例の割合で死児を運搬する。ただし盛夏では腐りやすく,そう長くは持っていない。こうした死児の運搬は目立つので,高崎山のユンデや幸島のウツボという母親の事例は,くわしく観察されて写真も残っている。

ボッソウの事例は,3例が3例とも持ち運んだという点で特異だ。また,子どもが死ぬと乳が止まり,生理周期が戻る。尻がピンク色に腫れて,次の子どもをもつ準備が整う。そうした体の変化に抗するように持ち続けるという点で,意思のようなものを感じる。考えてみると,昨日まで一緒だった子を,死んだからといってすぐに手放す理由はない。ミイラになるまで持ち続けてもよいだろう。そういう文化なのかもしれない。愛着,それが死を弔う行動の起源なのかなと思う。

この光景を繰り返し見ないですみますように。いろいろな思いはあるが,それがボッソウの研究者たちに共通する素朴な願いでもある。

この記事は, 岩波書店「科学」2010年7月号 Vol.80 No.7 連載ちびっこチンパンジー第103回『死を弔う意識の芽生え?』の内容を転載したものです。