Credit: Tetsuro Matsuzawa/Primate Research Institute, Kyoto University
図: ボノボの親子。母親ホシと1歳の息子ハチロー

2010年4月から霊長類研究所にボノボ(林原)研究部門ができた。ボノボの野外研究を背景に,ボノボの心の研究を開始する試みである。部門を構成する筆者ら3人で,まずは野生ボノボを見に行くことにした。チンパンジーとボノボの関係は,サピエンス人とネアンデルタール人の関係と同じだ。同属別種である。ボノボの研究が進めば,人間の本性の進化的起源の理解が進むだろう。

石ころがない

コンゴ民主共和国の首都キンシャサは人口約700万人。そこから約1000km離れたジョルという街にチャーター機で飛ぶ。眼下には平たんな森が続いていた。日本の陸地面積の6倍ほどもあるコンゴ盆地。大蛇のようなコンゴ川4700kmが曲がりくねっている。海辺から源頭部まで直線距離で2000km,ただし最高点の標高が1000mしかない。1km行って標高が50cm上がる程度だ。

ジョルからは自動車も通れない道なので,モータバイクの後部座席に乗って行った。83km,約3時間の旅である。民家やヤシの木などアフリカで見慣れた風景だが,どう眼を凝らして見ても石がない。岩も,小石でさえも見当たらなかった。路傍の石と言う。どこにでもある,つまらないもののたとえだが,その石がない。

通説によると,昔々,コンゴ盆地は巨大な湖だった。その湖底がせり上がって,北縁から流れ出したのがコンゴ川である。知識で知ってはいたが,実際に石がない世界を実感してみると,とても不思議な思いがした。雪がない,それはわかる。しかし,石がない。砂漠ではなく,ふつうに人びとが暮らしている世界に石がない。

野生ボノボの社会

調査基地のワンバ村周辺の森に1群27個体の野生ボノボがすんでいる。加納隆至さんらが開拓した調査地で,今は古市剛史・伊谷原一らに引き継がれ,30年を超える長期調査が続いている。未明にヘッドランプをつけて村を出立し,ボノボが起きだす朝6時半ころから,樹上のベッドをつくって寝る夕方5時半ころまで終日追跡した。

チンパンジーと比較して,最も顕著に違うのは隣の群れとの関係だ。チンパンジーでは敵対的で,けっして混じり合うことがない。互いになわばりをパトロールしている。声でも聞こえれば毛を逆立てて緊張し,出会えばケンカになる。殺し合いにまで発展する。しかしボノボでは,隣の群れのおとなの男性が,ワンバの群れの子どもと遊んでいた。隣の群れのメンバーが入り込んだまま,1週間ほど一緒に行動していた。

そうした関係を成り立たせているのが性行動だ。チンパンジーは,ケンカをしては仲直りをする。極端に単純化していえば,ボノボは,ケンカになりそうなとき,互いにセックスに持ち込む。女性同士が対面で抱き合って互いの性器をこすりつけるGGラビングと呼ばれるボノボ特有の行動が有名だ。隣の群れの男性が,群れに入り込んでふつうにセックスしていた。チンパンジーではありえない。

群れの中も,男性優位なチンパンジーの社会とは明らかに違う。端的な例が,枝を引きずる誇示行動だ。チンパンジーの最優位の男性が,毛を逆立てて荒々しく枝を引きずって歩くと,女や子どもは逃げ惑う。ボノボでは,比較的若い男性がよく枝を引きずるディスプレイをする。しかし,すぐそばを通り過ぎても,おとなの女性は知らん顔だった。無視する。最優位の男性がいないわけではないが,ボノボでは一般に女性の存在感が高い。女性優位の社会といってよいものだった(図)。

野生ボノボの行動

音声コミュニケーションも興味深い。ピャアピャアピャアと聞こえる甲高い声で鳴き交わす。木の幹が地面近くでスカートのひだのように広がっているものがある。坂根と呼ばれる。チンパンジーの男性はそれを足で蹴ったり,手で叩いて,ドドドンドンと太鼓のように音を出す。ボノボも同じだ。ただし,こうした音にチンパンジー以上に敏感だ。

追跡中にボノボの姿を見失うと,現地ガイドはマシェット(山刀)で坂根を叩く。すると,ピャアピャアピャアと返事をするので居場所がわかる。どうも慣れることがないようで,何度やっても必ず返事をする。また,大きな枯れ枝がドサッと落ちても,上空の飛行機の音にも,同様に返事をしていた。

食物分配も興味深い。現地名ボーリンゴという大きな果実の時期だった。東南アジアで見るドリアンのように,大きな種がいくつもあって,周りの果肉が甘い。1人では食べきれない量がある。この食物を,親子だけでなく,おとな同士でも持っていくのを許していた。しかも,何度も手を伸ばしてくるのを許す。しかし分配は物にもよるようだ。現地名イッテレというウロコオリス(リスの仲間で,皮膜を広げて樹間を滑空する)の捕食があったが,これはだれにも渡そうとしなかった。貴重品はやすやすとは渡さないようだ。

最も興味深いのは,地中を掘る行動だ。ボノボのすむ森は大別すると,林床の乾いた森と,ずぶずぶの沼の森とに分かれる。乾いた森の地面を手で掘って,白い何かを取り出して食べていた。キノコだそうだ。沼地のものは明らかに種類が違う。小さくて黒い。これが何か,まだ分析結果が出ていない。おもしろいことに,このキノコないし根粒菌のようなものを食べながら,ときどき葉を食べていた。付け合わせなのかもしれない。

まだよく知られていないボノボの生態や行動をかいま見た旅だった。

謝辞

今回の旅にあたって,古市剛史,伊谷原一,竹元博幸,坂巻哲也の諸氏のお世話になった。特別推進研究,AS-HOPE,環境省研究費(D-1004)の支援を受けた。記して感謝したい。

この記事は, 岩波書店「科学」2010年11月号 Vol.80 No.11 連載ちびっこチンパンジー第107回『コンゴ盆地の野生ボノボ』の内容を転載したものです。