図1: ポスターに使われたP家のチンパンジーたちの「目」。上からプチ,パン,パル(1歳頃)

2010年7月20日,女優の早乙女愛さんが亡くなった。筆者たち京都大学霊長類研究所の研究者たちは,少し感傷にふけってしまう計報であった。というのも『愛と誠』という漫画に登場するヒロインでもある「早乙女愛」という名は,霊長研に暮らすチンパンジー・アイの名前の由来だったからだ。松沢哲郎著『チンパンジーから見た世界』(東京大学出版会)にもそうある。筆者がまだ中学生だったころの話だ。早乙女愛さんは享年51歳。早すぎる死といえるだろう。霊長研のアイは34歳,壮年期に入ったくらいだろうか。長生きしてくれることを祈らずにはいられない。

名前に由来あり

チンパンジーやサルなどの動物に名前をつけるのは,とくに不思議なことではない。ただ,野生の個体に名前をつけ,個体識別をして研究を始めたのは日本の霊長類学者だ。今でもときどき,動物に名前をつけると「擬人化」の対象になってしまうので嫌がる専門家がいると聞く。しかし,名前をつけることによって,その個体はほかの誰でもないユニークな存在となる。そのような視点で観察し,日々接することで,彼らの個性がより明瞭に湧き上がってくる。

日本の霊長類学者は,けっこうこだわって名前をつけることが多い。とくに家系で頭文字を統一することを好む。名前を見れば,その個体の家族の歴史が一目瞭然という仕組みだ。一方,動物園や水族館では,公募によって市民が命名することも多いようだ。たとえば2009年の4月に生まれた高知県立のいち動物公園の双子のチンパンジーは,4月の誕生石と花にちなんで「ダイヤ」と「サクラ」と名づけられた。両親の名前は「ロビン」と「サンゴ」。サクラとは「サ」つながりだが,意識したものではないだろう。他方,名古屋港水族館で2007年7月に生まれたベルーガの子どもは誕生年と誕生月にちなみ「ナナ」と名づけられた。いい名前だ。でも,この子の水族館での個体番号は9。八の字マークが市章の名古屋市に暮らす「9番のナナちゃん」。少しややこしくもあるが,そんなことはおかまいなしにすくすくと成長している。

犬山の「家族」たち

犬山の霊長研のチンパンジーは,母親の頭文字を子が受け継ぐというシステムになっている。たとえばアイの子どもはアユム,健やかに人生を歩んでほしい,との思いから名づけられた。このとき対抗馬として挙がっていたのが「アム」。「アイ・アム」という語呂だろうか。このアムはアユムの愛称として今でもみんな使っている。実は,アイはアユム出産の1年前に死産を経験している。その子の名は暫定的に「アトム」と名づけられていた。偶然だが,アユムのお父さんも,アトムのお父さんも,Aで始まる「アキラ」だ。

アユムと同時期に生まれたクレオとパル,その名から推測できるように,それぞれの母親はクロ工とパンだ。当初,クレオは暫定的に「チャオ(Ciao)」とよばれていた。しかし,暫定的な名前が独り歩きしてはまずい,とすぐにスタッフや学生たちでCで始まる名前を考えた。筆者はイタリア語で心を意味する「クオーレ(Cuore)」がいいなと思ったのだが,当時おられた教授に,「クロエとクオレじゃ間違えやすい」といわれ断念したおぼえがある。残った候補はCleoとCoo,Cleoはクレオパトラからきている。クレオパトラの意味は「父(ファラオ)の栄光」。クレオには光り輝く未来が待っている(はずだ)。対抗馬のCooは景山民夫が恐竜の子どもを題材に描いた海洋冒険ファンタジー「遠い海から来たCOO」に由来しているのだろうか。いずれにせよ,この子はクレオと名づけられ,その愛称は「クーちゃん」となった。

P家の人びと

パル(Pal)はその名の通り,「友だち」という意味だ。母親のパンはプチの子どもで,お姉さんの名はポポ。まさにP家といってよい一大勢力を形成している。プチは2003年5月に三女を出産している。この子の名は「ピコ(pico)」。プチ(小さい)の子だけに,ナノより小さいピコ(=10 -12)と名づけられた。ピコは本連載48回(2005年12月号)にもあるが,先天性の障害のため2歳という短い生涯だった。

P家の人びとはよく似ている。とくに目が特徴的だ。図1は,2002年と2008年に開かれた国際シンポジウムのポスターなどに用いた写真だ。P家の母親(プチ),娘(パン),孫(パル)の目がデザインされている。いずれ劣らぬ「いい目」だと思うが,ひいき目だとのお叱りを受けるかもしれない。

名前をわがものに

これらの名前は,人間がこちらの都合でつけたものにすぎない。彼らにとっては意味のないものなのかもしれない。でも,はたしてそうだろうか。 かなり前に,霊長研のチンパンジーでこのことを確かめる実験が行われた。録音されたそれぞれの名前をスピーカから流したところ,呼ばれたチンパンジーだけがそっちを向くという頻度が高かったのだ。彼らにとっても,名前が名前として機能しているのかもしれない。ちびっこチンパンジーたちも,最近では,呼べば振り向いてくれるような気がする。成長の過程で名前をわがものにしたのだろう。でも,これらの名前は犬山のチンパンジーコミュニティの中で「共有」されているのだろうか。あるいは,それぞれが自分の名前だけをおぼえているだけなのだろうか。人間の社会では当たり前の「固有名」の共有。実は,チンパンジーではまったくわかっていないのだ。

この記事は, 岩波書店「科学」2011年2月号 Vol.81 No.2 連載ちびっこチンパンジー第110回『「名前」の由来』の内容を転載したものです。