図1: 石でアブラヤシの種を叩き割るジレ(推定55歳の女性)

アフリカ人によるアフリカの研究

西アフリカ・ギニアのボッソウで、野生チンパンジーの野外調査をおこなってきた。例年同様、昨年末の12月から今年1月にかけて、1986年から数えて28年目の調査をおこなった。

初めての試みとして東アフリカのウガンダと中央アフリカのコンゴ(旧ザイール)の研究者をギニアに連れて行った。アフリカを東西に移動するのはむずかしい。飛行機はほぼすべて、旧宗主国の英仏などと旧植民地図を結ぶ航路しかない。

そもそも、ビザがなかなかおりなかった。アフリカの貧しい国同士なので互いに大使館をもっていないからである。乗り継ぎが悪いから当然とはいえ、ロストバゲージになってしまった。コナクリでの国際会議のあいだはまだよいが、1000kmを旅してボッソウまで行き、ニンバ山の1740mの頂にも登る予定なのに旅の装備がない。

しかし驚いたことに、彼らは着のみ着のまま、適当に道端の露天商で服や靴を買い足すのだった。ギニア唯一の公用語はフランス語だ。コンゴもフランス語なので問題はない。一方,ウガンダは英語であり、まったくフランス語をしゃべれない。それでも特にどうというほどの問題はなかった。黒人に黒人がまじっているだけなので、見た目にも違和感がない。

遠路の客人たちは、野生チンパンジーの石器使用を見て、緑の回廊も視察した(図)。ニンバ山にも無事登頂した。そして全参加者が、英語で研究発表した。アフリカ人によるアフリカのチンパンジー研究の可能性をかいまみることができた。

図2: 石器使用の野外実験場に集った、ギニア・コンゴ・ ウガンダのアフリカ3国と日米英の研究者たち。

3人のおとなチンパンジーの失踪

今回の訪問の最大の関心事は別のところにあった。昨年9月を最後に、3人のおとなチンパンジーが姿を消しているのだ。テュア(推定56歳男性)、パマ(推定46歳女性),ペレイ(15歳男性でパマの息子)である。

ボッソウのチンパンジーは毎日,現地の調査助手が森に入ってその出欠記録をつけている。ときに遠出して見つからないこともあるが,1カ月以上の行方不明はない。今回,昨年末の時点ですでに3カ月が経過しようとしていた。

ボッソウの12人の群れの中で,彼ら3人はとりわけ緑の回廊をよく利用した。ニンバ山麓のセリンバラ村のはずれの森にでかけるのだ。また,彼らとおぼしきチンパンジーをセリンバラで見たという目撃情報も得た。おとなのチンパンジー,まして男性が,生まれた群れを自発的に出て行くことは考えられない。群れの中でのけんかなど,出て行く理由もなかった。

それがふっつりと姿を消した。これには,じつは伏線がある。2年前,調査史上初めて,セリンバラの村の郊外で,子ども2人がチンパンジーに襲われてケガをした。村はずれのコーヒー畑で,出会いがしらのことだ。子どもが逃げれば,チンパンジーは追う。あいにく子どもが転び.チンパンジーが手足に噛みついた。小さな男の子の人差し指の先端が,第一関節のところからすっぱり切れ落ちた。幸い傷はいえた。わたし自身もお見舞いした。親御さんにも理解をいただいた。実際,いまは元気になっている。

しかし,村の人口はすでに1000人近くまで膨れ上がっている。村人のなかには,おそらくチンパンジーのことを快く思っていない人たちがいるのだろう。夜陰にまぎれて、樹上のベッドで寝ているチンパンジーに近づけば,3人同時に鉄砲でしとめることはできる。それが,セリンバラの筆頭ガイド,カッシエの説明だった。

エボラ出血熱の発生

1月に帰国した。3月になって,ギニアでエボラ出血熱のアウトブレイク(流行)というニュースが入ってきた。森林ギニアのゲゲドゥ県で始まり,隣のマセンタ県、キシドグ県に広がったという。ボッソウまで200kmである。飛び火して首都のコナクリでも患者が出た。さらには,南の隣国リベリアでも感染と死亡が確認された。北の隣国マリは陸路を封鎖。マセンタでは,治療のために滞在するMSF(国境なき医師団)への投石騒ぎもあった。なんと,MSFがエボラをもってきたという流言のせいだった。

エボラは,1976年にコンゴのエボラ川付近で最初に発見された熱病である。エボラウイルスというフイロウィルスが原因だ。発熱,暇吐,激しい下痢,ときに全身に出血症状が現れる。その後も,コンゴやガボンで断続的に発生している。西アフリカでの流行は今回が初めてだ。患者の体液、血液、糞便などに接触して感染する。病人を介護するときや死者を葬るときには厳重注意を要する。

今年4月14日の時点で、疑い例を含む発症者が190名、死亡者120名、死亡率は63%。4月17日には、米仏の学生2名をボッソウから退去・帰国させた。4月16日にはニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンが速報論文を掲載した。患者15例から,原因ウイルスを同定したという。ザイール型と呼ばれるタイプのエボラだった。

ギニア人のコナクリ大学環境研究所長,セコウ・ケイタ教授と、頻繁にメールのやりとりをしている。「事態がどうあろうとわたしたちは母国を離れられないので、エボラの終焉を待つだけです」ということばが重く響いた。現地の事態の推移を見守るしかない。ギニアの人々やチンパンジーに静かな日々が戻ることを願っている。

この記事は, 岩波書店「科学」2014年6月号 Vol.84 No.6 連載ちびっこチンパンジー第150回『ボッソウのチンパンジー:密猟とエボラ出血熱』の内容を転載したものです。