ひさしぶりにアイに絵筆を握ってもらった。やわらかな手首の動きから生まれる,いつものアイの筆づかいだ。はじめに色紙の上半分に黄緑色の絵の具を塗りひろげた。その下半分には,次の朱色をいれていく。補色で塗り分けられた画面。その境目から、深緑色の線がらせん状にたちのぼった。森のなかを気まぐれな風が吹き抜ける。そんなさわやかな作品になった。京大総長になられた山極壽一先生に贈られた絵だ(図1、2)。

「描く」にみる人間とチンパンジーの違い

東京芸大の大学院生のころから,描くことの認知的な基盤を研究テーマとしてきた。その主軸にチンパンジーと人間の子どもの比較研究がある

チンパンジーは,絵筆をあつかえても,何かを表した絵(表象画)を描かない。その要因を調べるために、顔の一部分が欠けた線画におえかきをしてもらった。たとえば右目が欠けている顔や,輪郭しかない顔の絵だ。人間の場合は2歳後半になると,自発的にその「ない」目を補って描こうとする。しかし,チンパンジーが「ない」目を補って描くことは一度もなかった。そのかわりに、描かれて「ある」目を塗りつぶしたり,輪郭をなぞったりと器用な筆さばきをみせた。

浮かび上がってきたのは,絵を描くわたしたちにそなわった能力が,想像力に関連した知性だということだ。人間は、描線にさまざまな「なにか」を見立てて描く。いっぽう,チンパンジーは、そこに「なにか」を見立てていないようだ。

だからアイの絵は,いわば純粋なアンフォルメル(非定型芸術)のようなものなのだろう。しかし,それを見る人間の心には、さまざまなイメージが湧きあがる。


図1: 制作中のアイ


図2: できあがった作品を前にするアイと松沢先生


図3: 赤と黒で描かれた『革命前夜』の絵

「革命前夜」

アイが作品を制作するとき,私の役割はアシスタントであり,ディレクターでもある。画材の準備から,使う絵の具の調合,ビデオ撮影,作品選定までをおこなう。アイと同室して筆を手渡すのは,依頼主でもある松沢哲郎先生だ。

図(2)も同じくアイの絵で,尾池和夫先生の学長就任のお祝いに贈られた。京都造形芸術大学に就任されるということで,赤と黒の大胆な筆致の作品にした。制作日は,はからずも2月26日。仮タイトルは「革命前夜」とつけられた。

4月から赴任した大学で, この「革命前夜」を授業の教材に使った。美術鑑賞と称し,絵を見て感じたことを5つ書き出してもらう。ただし,作者がチンパンジーだということは伏せておいた。そのため「子どものなぐりがき」だと思った学生もいたが,「それなりのおとな」だとか,「有名な画家に違いない」と考えた学生も多かった。もっとも,美術鑑賞の題材がチンパンジーの絵だとはふつう思わないだろう。

はじめは何も思い浮かばないと戸惑う学生たちだったが,ひとつ手がかりをつかむと,イメージを膨らませていく。なかには「枠に閉じ込められた生き物が抜け出したいと思っている」というのもあった。アイの心の声でないことを切に願う。学生によると,黒くて太い線がヘビのような生物に見えたそうだ。それが色紙の枠におさまるように描かれているので,窮屈さを感じたらしい。

さて,学生たちの感じたことの全貌をまとめてみたい。具体的なイメージには,おもに3つの方向性があった。筆の勢いと色の対比からか,まずは炎、太陽、大地,生命,龍といった力強いイメージ。次に、赤と黒という色彩からか,歌舞伎,侍,鬼,天狗といった和のイメージ。そして,火事や戦争,地獄などの物騒なイメージもあった。

こうした具体的なイメージのほかに,感情や印象に関わる言葉も多く引き出された。情熱的,豪快,力強い,がむしゃら,りんとしている。このあたりまではよかったが,恐怖,怒り,喪失,苦しみ,憎しみ,狂気などのネガティブな言葉も続々とあがってきた。

絵に映し出される心

はたして、お祝いの作品としてふさわしかったのか。書き出された言葉の並びを見ると,ディレククターとしては反省するところだ。

自己弁護ではないが、ここはぜひ岡本太郎の言葉を参照させていただきたい。「芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。すぐれた芸術は,むしろ「いやったらしい」ものなのだと。

アイが自分のイメージを込めて描いたわけではないので、彼女の描いたものが芸術作品だと主張するつもりはない。しかしこの絵が,見た人の心のなかで,さまざまなイメージや感情をかきたてたことは事実だ。

じつはもう1枚,別の絵も鑑賞してもらったが,そちらは、風、海、空などのさわやかな言葉ばかり集まり、ネガティブな言葉は少なかった。しかしそもそも感情に関わる言葉があまり引きだされていなかったのだ。そういう意味では、「革命前夜」の方がより「いやったらしい」作品だ、といわせてもらいたい。

20世紀美術を代表する芸術家、マルセル・デュシャンが言ったように,本物の芸術作品も,鑑賞する人がいてはじめて完成する。そして鑑賞をする人の想像力が問われるということにあらためて気づかされた。絵には,それを見る人の心が映し出される。見るという行為は,想像以上に創造的だ。

この記事は, 岩波書店「科学」2015年2月号 Vol.85 No.2 連載ちびっこチンパンジー第158回『絵に映し出される心』の内容を転載したものです。