ウガンダのワイルドライフ

毎年,12月から1月にかけてアフリカで野生チンパンジーの調査をしてきた。しかしエボラ出血熱のためにギニアに渡航できない。ボッソウの野外調査を1986年から続けていたが30年目にして途切れることになった。この機会を利用して東アフリカに行くことにした。目的地はウガンダだ。

カリンズ森林でチンパンジーを見た。シロクロコロブス,アカオザル,ブルーモンキー,ロエストモンキーという4種のサルに出会った。ボッソウにはチンパンジーしかいないので,多様なサル類が森で一緒に暮らすようすが新鮮だった。

ブウィンディ森林の野生マウンテンゴリラも見た(図)。マウンテンゴリラはこことルワンダのビルンガ火山群にしかいない。総数約880個体。まさに絶滅の危機に瀕している。ヒト付けが進んでいて,向こうから近寄ってくる。6歳と5歳と4歳の子どもが近づいてきて,一番のちびっ子がわたしのカメラを引っ張った。

ビルンガには行ったことがある。これで野生マウンテンゴリラの双方の生息地を見たことになる。いずれもしっかりと守られているが,保護区は孤立している。ウガンダでは主食のバナナ畑と,商品作物の紅茶畑が延々と広がっていた。

さまざまな野生動物が見られることで知られるクイーンエリザベス国立公園も訪れた。人々が思い描くアフリカのサバンナの動物たちを見るのは,わたしにとっても初めてだ。ゾウ,ライオン,キリン,インパラ,ガゼル,イボイノシシ,カバ,水牛,アヌビスヒヒ,ベルベットモンキー,多様な鳥類,公圏外でシマウマも見た。

もっとも公園に向かった早朝,最初に出会ったのは道路に転がるカバの死体だった。「ロード・キル」という言葉がある。野生動物が道路に出てきて自動車にはねられる事故だ。夜間に疾走する車と衝突したのだろう。首都のカンパラから森に向かう幹線道路のそこここで目にした光景だ。人間とそれ以外の動物の共生の難しさを実感した。


図: ブウィンディのマウンテンゴリラ。撮影:坪川桂子

カンボジアのモンドルキリ森林

正月を久しぶりに日本で過ごして. 1月はカンボジアに行った。38カ国目の訪問地になる。ベトナム国境に広がる未踏のモンドルキリ森林が目標だ。1970年代のベトナム戦争で,ベトコンの掃討のために米軍が後背地のカンボジアを空爆した。大量の不発弾がまだ森に眠っている。国境地帯ということもあって入域が制限されていたが,カンボジア農林水産省森林局の好意で特別に許可された。キイロホホカンムリテナガザル,ドゥクラングール,シルバーラングール,ブタオザル,カニクイザルを見ることができた。

この2年間,雲南のキンシコウの野外調査に力を入れている。孫悟空のモデルともいわれるサルだ。約300種類いる霊長類の中で,最も標高の高い所に住む。標高4500m, 雪の中で暮らす。針葉樹から垂れ下がり岩にへばりつく地衣類を食べている。「学部はどちらですか?」「山岳部です」という大学生活を送ってきた。ヒマラヤの登山とアフリカのチンパンジー研究という,まったく無縁に見えるふたつの道が,ヒマラヤ最東端の高山で暮らすキンシコウで交差した。

最新のゲノム研究で,このキンシコウとボルネオのテングザルが遺伝的には近縁だということがわかった。鼻の削げ落ちたキンシコウと, 鼻が長く垂れ下がったテングザル,真逆な「奇妙な鼻をもつサル」が近縁だとは,ゲノムを調べるまでわからなかった。雲南とボルネオの中間点がカンボジア・ベトナムの森林である。両者をつなぐ場所にどんなサルが生息しているのか。それが知りたくて現地に見に行った。答えはドゥクラングールだ。キンシコウを彷彿とさせる顔のサルだった。樹の葉を食べるので,食性としてはテングザルに似ている。

エボラのために思いがけず広く世界をとびまわることで,チンパンジ一以外のサルたちの野生の暮らしの一端を垣間見ることができた。これで霊長類の32の種ないし集団を野生で観たことになる。もっと広く世界を見ればよいのだ。新しい研究の展開を予感できた。

暴力の起源:ポル・ポト派のクメール・ルージュ

カンボジアを発つ日,夕方の飛行機便を待つ間に,ポル・ポト派の収容所跡を見に行った。2011年にルワンダのツチ族とフツ族の大虐殺の跡地,2013年にナチスによるポーランドのアウシュビッツ・ビルケナーゼのユダヤ人収容所, 2015年にポル・ポト派の収容所を見たことになる。いずれも数百万人規模のジェノサイドの現場である。

森林局で会った高官5人はいずれもう50歳前後だが,例外なく,両親か片親が殺されていた。自身は当時10歳前後で,農村に送られて稲作に従事した。ポル・ポト派がカンボジアを掌握支配したのは1975年4月から1979年1月7日までの3年8カ月だ。マルクス・レーニン・毛沢東の影響を強く受けた,独自の原始共産制である。

いっさいの私有を禁じた。貨幣をなくした。学校を廃止した。教師はみな殺した。役人も殺した。僧を殺した。知識人を殺した。知識は無用で有害だという。約100万人が死んだと推定されているが,当時の国の人口が約700万人なので,おびただしい命が奪われた。ちなみに,ポル・ポトは,本名サロス・サー(1925-1998)の革命家名である。ポリティカル・ポテンシャルの略だということを初めて知った。

すさまじい暴力と残忍性が,収容と殺戮の現場で示されている。弾痕や打撃痕のある頭蓋骨や骨,写真。チンパンジーによるチンパンジー殺し152例を昨年,ネイチャー誌で公表した。暴力や残忍性の起源を考え,それにいかに対処したらよいかを提示する。霊長類学が人間の学であり続けるためには,そうした問いへの答えも準備しないといけないと思った。

この記事は, 岩波書店「科学」2015年3月号 Vol.85 No.3 連載ちびっこチンパンジー第159回『ウガンダとカンボジア: 霊長類を広く見て,人間を深く知る』の内容を転載したものです。