Credit: Primate Research Institute, Kyoto University
図: チンパンジーのパル(左)とヒト(右)が課題に取り組んでいる様子。

触らずに大勢と一度につながる方法

霊長類研究所で,私が朝一番に会いに行くのはパルという女の子のチンパンジーだ。「おはよう,パル」といって,普段生活している部屋から, 勉強部屋へ向かう通路へ誘導する。すると,移動するまえに彼女は必ず手を差しだす。その手に触れると,安心したように移動してくれる。触れずに先へ誘導しようとすると,いくら声をかけてもなかなか通路にあがってくれなかったり,途中で止まってしまったりする。どうやら「おはよう」と声をかけるよりも,そうやって触れられることの方が,彼女にとっては重要らしい。普段の様子を観察しても,グルーミングやハグなど,チンパンジーはヒトよりもずっと触れあうことで相手とのつながりを確かめ合っているのがわかる。

いっぽうで,ヒトは極端に触らない。家族や恋人など特に親密な関係にある相手を除いて,同僚や知り合いに触れることはほとんどない。それどころか,相手が一定の距離以上に近くなると,落ち着かない気持ちになる。こうした距離感は,パーソナルスペースと呼ばれている。

ヒトはその代わりに,声や顔の表情,体の動きで相手との関係を強めようとする。豊かな身振りやさまざまな声を使うだけでなく,ダンスや合唱など,他の仲間と体の動きや声を合わせる音楽活動も,ヒトに特徴的なコミュニケーションだろう。実際に音楽は,集団や民族がきずなを強める手段として,世界中で用いられている。ヒトは,触って関係を確かめるコミュニケーションから,音楽といった触らずに大勢と一度につながることができるコミュニケーションを進化させたといわれている。それでは,こうしたユニークなコミュニケーションは,どういった能力をもとにして獲得されてきたのだろうか。

ヒトもチンパンジーも自然に動きを合わせてしまうリズムがある

2013年に,チンパンジーも音のリズムに自分の動きを自然に合わせるという実験結果を発表した(本連載第137回)。光ナビゲーション機能のついた電子キーボードを使って,叩いてほしいキーを順番に光らせるようにした。チンパンジーはその光を頼りに, 2つのキーを交互に30回叩くとリンゴのかけらがもらえる(図)。光のナビゲーションはすぐに切り替わるが,チンパンジーは自分のペースで叩けばよい。その時に課題とは関係なく、メトロノームのようなリズム音を聞かせた。

すると,チンパンジーのアイが,自然にリズムに合わせてキーを叩くことが確認された。興味深かったのは,さまざまな速さのリズム音を聞かせた中で,アイが反応したのは自分のペースに一番ちかいものだったことだ、。ヒトでも普段動くペースと,合わせやすいリズムの速さには関係があるという報告がある。せかせかしたヒトは速い音楽に乗りやすく,おっとりしたヒトはゆったりした音楽に乗りやすいというわけだ。

そこで今回は,前回と同じ手続きを使って,それぞれが好きな速さでキーを叩くときの速さと合わせやすいリズムの関係について,調べてみることにした。まず,チンパンジーとヒトで、2つのキーを好きな速さで叩いてもらい,それぞれがもつ「自分のペース」を測定した。チンパンジーもヒトも大体0.4秒~0.6秒くらいの間隔で、2つのキーを叩くことがわかった。ただしヒトの方が叩き方はずっと安定していた。チンパンジーは,時折速くなったり遅くなったりした。その後, キーを叩いている間に課題とは関係なく,各人のペースに近いリズム音を聞かせた。

すると,チンパンジーとヒ卜のどちらも, キーを叩くタイミングを音のリズムに自然に合わせることがわかった。チンパンジーもヒトも,自分のペースをもっており、それに近い速さのリズムを聞くと自然に体の動きを合わせてしまうのだ。

音楽の起源

これまで、音楽に関する能力は,ヒトが生まれた後にそれぞれの文化の中で身につけると考えられてきた。しかし最近の研究から,それらの能力のうちいくつかは,生物として早い段階からすでにヒトに備わっていることが指摘されている。例えば,生まれたばかりの赤ん坊でも,複雑な音楽のリズムを認識し次にどのタイミングで音が鳥るかを予測しているという。また,多くの音楽はメロディを高音で表現し、リズムを低音で演奏する特徴があるが,こうした特徴は幼い頃からヒトがまわりの音を認識する際に注目する特徴に合致しているそうだ。特定のリズムを聞くと動きを合わせてしまうという傾向じたいも, ヒトとチンパンジーの共通祖先の段階で,すでにあったのだろう。そうした基盤をもとに,音楽というコミュニケ一ションが獲得されていったと考えられる。

3万5000年前のドイツの地層から,現時点で最古の楽器とされる,動物の骨で作られた笛が発見された。文明ができるはるか以前から,ヒトは自身の感覚をもとに,大勢の仲間と気持ちを共有し、強くつながる方法を生み出そうとしてきたのではないだろうか。音楽がもつさまざまなユニークな特徴は,生物的な基盤をもとにしつつも,いかにヒトがそうした強い思いをもって工夫を凝らしてきたかを,物語っているように思える。

この記事は, 岩波書店「科学」2015年9月号 Vol.85 No.9 連載ちびっこチンパンジー第165回『音楽の起源』の内容を転載したものです。