人工哺育になった経緯

「ドリアンが昨日からメロンを抱いています。」2014年11月9日に連絡を受けた。フルーツの話をしているのではない。どちらも日本モンキーセンターのフクロテナガザル(Symphalangus syndactylus)の個体名で,ドリアンは父親,メロンはその娘になる。メロンはこの年の9月4日に生まれ,生後2ヵ月だった。フクロテナガザルは東南アジアにすみ,人間やチンパンジーに近い小型類人猿の一種だ。野外でも飼育下でも,父親が子を運ぶという形で育児に参加する。しかし,生後1歳頃から運搬するのが通常なので,時期が早すぎる。何より,母親のマユに戻されておらず,乳が飲めていない。2日間,金網越しにミルクを与えようと試みるも,十分な量を飲ませられなかった。

子が母から父に移ったところを誰もみていない。母が放置したのか,父が奪ったのか,わからない。母にもう一度抱かせるために,父に鎮静薬を飲ませて,手足の力を弱くさせた。しかし,母は赤ちゃんを取り戻す様子をみせてくれなかった。

何が問題なのだろうか。父母の過去を振り返ろう。ふたりとも実母に育てられ,家族の中で成長した。過去2回,育児に失敗している。飼育担当の記録によると,第1子は生後間もなく育児放棄され,人によって育てられた。第2子はマユに育てられていたのだが,生後1ヵ月の時,マユが子を置いてしまった。ドリアンが抱いて運び始め,3日後に死亡している。その後,ドリアンは死児を丸一日放さなかった。

父に抱かれて3日たち,メロンの衰弱が進んでいた。命を守ることを優先させて,11月11日夕方に父母から分離した。

人工哺育の問題

人工哺育にはさまざまな弊害がある。とくにヒトに近い霊長類では,何よりも深刻なのは,赤ちゃんの社会行動の発達に重大な影響を与えることだ。母親が与えてくれるはずの刺激を自分自身で作り出し,何もない空間をみつめて,どれだけ長く孤独な時間を過ごさなければならないのだろうか。幼い時はまだ遊んでくれる人もいるだろう。だが成長すると,1ヵ所に閉じ込められて長時間放置される。新たな赤ちゃんにフォーカスを当て,人々が忘れるように仕向けるのはよく見る手口だ。

動物園は自分たちのビジネスの保全で忙しい。メロンにテナガザルとしての能力を発揮させるには,乳幼児期にこそ豊かな環境が必要だ。父母にできるだけ早く返さなければならない。

親元に戻す

分離の翌日より,両親に返すための取り組みを始めた。まず,赤ちゃんと両親の「金網越しの面会」を日々おこなった。親子が互いを忘れないようにする。幸いなことに両親は関心を示さない日はあっても,メロンを攻撃することは一度もなかった。そっと触る・匂いをかぐ・声をかけあう,などの親和的な行動がみられた。とくに父のドリアンが積極的に関わった。並行して,戻した後に「介添え哺育」が問題なくできるように準備する。マユの乳房は小さくなってしまい,すでに自然な授乳が見込めない。子に金網越しにミルクを飲む練習をさせる。両親には私たち養育者の近くに留まるように習慣づける。

その後,メロンは成長につれて,数m程度,養育者から離れられるようになった。小さなドアを工事で新設した。両親の寝室とその隣室の間を結ぶ物で,子だけがドアをくぐって行き来できる。生後7カ月齢から両親と寝室で「一時的同居」を始めた(図)。時間を徐々に伸ばす。回を重ねるごとに,父母との結びつきは強くなる。19回目からは父親による子の運搬が再開した。日々のトレーニングが実り,ミルクや食事を両親と一緒にとらせることもできた。そして,分離から7カ月後,生後9ヵ月齢に両親との「終日同居」に移行した。最初の晩からお父さんに抱かれて一緒に寝ている姿をモニターでみて,皆でほっとする。3日後までに問題がなかったので,一連のプロセスを完了した。現在も観察は継続している。


図1: (左)メロンと両親。 2015年5月8日撮影。メロンと父のドリアンの遊びを,後ろで母のマユが 見守っている。(右)ドリアンに抱かれたメロン。生後8ヵ月齢。2015年5月28日撮影。この3日 前から父親による運搬行動が再開した。

現在の様子と今後の予定

2015年10月現在,メロンは生後1歳1ヵ月になる。青空の下で親子が仲良く暮らしている。要点が3つある。生後2ヵ月まで親に抱かれており,人工哺育中も両親と子の社会関係を維持できた。フクロテナガザルの父親が子供を抱くという特徴が,早期の群戻しにおいて役に立った。飼育担当とテナガザルとの良好な関係は必須条件だった。次の問いが残っている。どうして母親は育児を中断してしまったのか? 彼女の立場になり,原因を考えなければならない。予防するのが一番だ。また,7カ月間の両親との分離の影響はどこに出るのだろうか? この先のメロンの成長を見守っていきたい。                

じつは,メロンの祖父は1995年に空港で保護されている。密輸や生息地の森林の消失が理由で,今日,テナガザルの全種に絶滅の恐れがある。国際自然保護連合の霊長類専門家グループにより2015年は「国際テナガザル年」と定められている。本物の保全につながるように取り組んでいきたい。

謝辞

本活動を実施するにあたり,日本モンキーセンターと京都大学霊長類研究所の多くの皆様からのご支援を受けました。昼夜を問わずにメロンに寄り添い,労力を費やしてくださった飼育関係者の皆様には感謝の念に堪えません。国内外の研究者や専門家からも有用な助言を頂戴しました。記して深く御礼申し上げます。

この記事は, 岩波書店「科学」2015年12月号 Vol.86 No.12 連載ちびっこチンパンジー第168回『フクロテナガザルの人工哺育児を親元に戻す』の内容を転載したものです。