図1: マモル(生後3ヵ月)を抱く母親マルコ(左)と父親ツトム(右)。撮影:大橋岳。

愛知県犬山市の公益財団法人日本モンキーセンター(JMC)にチンパンジーの男児マモルが誕生し(本連載第162回参照),2016年7月で満2歳を迎えた。母親のマルコ,父親のツトムと3人で暮らしている。野生チンパンジーはふつう,複数のおとなの男性と複数のおとなの女性から成る群れで生活する。したがって群れ構成としては異例な最小の「核家族」だ(図1)。しかし逆に言えば,人間の親子の暮らしと同じである。この2年間,原則として毎週1~2時間のビデオ記録をしつつ,子どもの成長を観察してきた。親子関係で気づいたことをまとめてみたい。

母と子の関係

野生チンパンジーの研究から,チンパンジーの母子関係の特徴を3つあげることができる。第1に,生後3ヵ月間は母親が常に乳児を抱いている。第2に,その後は母子間に徐々に距離ができはじめる。しかし基本的に母親だけが育児をする。第3に,離乳までの期間は長く,3年半から4年半ほどかかる。

野生チンパンジーの女性は,10歳ころ(人間でいえば15歳ころ)の妊娠可能な年頃になると,生まれ育った群れから別の群れに移籍する。したがって,群れにいるおとなの女性同士はいわゆる他人であることが多い。だから,母親以外のおとなの女性は基本的には育児に関与しない。1人で産み,1人で育て,約5年に一度の間隔で産み続ける。マモルも最初の2ヵ月間は,片時も母親から離れなかった。2人の間に距離ができはじめた生後3ヵ月目に,母親が息子に対して拍手をするという行動が見られた。ときには後ずさりをし,「こっちにおいで」と移動を促すかのようだった。拍手は野生ではきわめて稀だが,相手の注意をひく意味になる。動物園などの飼育下では人間の影響で,主に人間に対して拍手して注意を引き,食べ物をねだることがある。息子に対する母親の拍手が最も多く見られたのは生後5ヵ月だった。自発的な移動が増えてきた時期だ。息子の歩みを促す,発達の足場づくりの機能をもつ拍手だったのかもしれない。

父と子の関係

野生チンパンジーの男性は,生まれた群れに生涯残る。男性同士は血縁が近い。父と息子,兄と弟,従兄弟といった関係にある。群れに生まれた子は,自分の子か弟妹か甥姪か,いずれにしろ子どものようなものだ。したがって,おとなの男性たちは共同して女性や子どもを外敵から守る。

マモルが生後2週の時点から,父親が毛づくろいするようになった(図2)。生後5ヵ月には母親よりも父親の近くにいる状況が見られはじめた。生後10ヵ月になると,父親の後追いをすることが増えた。最初に父親に抱かれたのは1歳2ヵ月だった。同じ飼育下チンパンジーの例として,隣接する京都大学霊長類研究所の場合,息子アユムが父親アキラに抱かれたのは1歳6ヵ月だ(本連載第7回参照)。JMCの父親ツトムは比較的早い段階から息子との関係をつくったといえる。霊長類研究所では10人以上のチンパンジーがいる群れで生活をしている。JMC は核家族で他人がいない。それが父子の関係づくりを早めたのだろう。

父親と息子の間での遊びも増えてきて,1歳11ヵ月では2人で笑い合う様子が見られた。それに対して,母親と息子の間にも遊びはあるのだが,母親が笑いかける姿はほとんど見たことがない。チンパンジーの母親にとって重要なことは,つねに目配りをして,子どもの命を守ることなのだろう。母親は養育に専念し,母親以外の群れの仲間が子どもを遊びに誘う。養育者として子どもの生活を支える母親と,その生活に社会的な彩りを添える父親。JMCの核家族構成が,そういう役割分担を浮き彫りにしていると解釈した。

図2: 父親ツトムに毛づくろいされるマモル(1歳5ヵ月)。撮影:市野悦子。

ひとり遊びと安全基地

子どもが母親から離れ,自由になったとしても,必ずしも周囲の仲間とかかわる訳ではない。3人の核家族で過ごすマモルの場合,「ひとり遊び」が多く見られた。木に登り,枝を使い,前転する,倒立する。これらの行動が生後11ヵ月から見られはじめ,1歳8ヵ月ころから増加した。はじめは低木でおこなわれていたが,2歳を迎える現在では,遊び場は2m以上の高さにまで到る。母親はその木の下に座り,葉や草を食べ,ときにはマモルのいる木から離れた日陰で涼んでいることさえある。しかし,マモルが恐怖を表すギャアギャアと響く叫び声や,寂しさを表すフフフッという声を発すると,母親は即座に息子を迎えに行き抱きしめる。いくら核家族で安全性の高い環境であっても,母親らしい行動はけっしてなくならない。

人間の子どもの場合,生まれてから3歳くらいまでの発達過程で,恐れや不安を抱くと養育者に助けを求めるようになる。だからといって,養育者がつねに子どもの近くにいるのがよいわけではない。普段は距離を保ち,子どもが自分で世界を広げていくよう促すことも養育者には必要とされる。怖いときにはいつでも戻れる「安全基地」を用意する。それが養育者の役割だ。 JMC のチンパンジー,母親マルコと息子のマモルの間には,まさにこうした関係が見られた。

人間の研究によると,子どものうちに学んだ他者との関係性の作り方は,おとなになっても変わることがない。いわば,自分が育てられたように自分の子どもを育てる。そうして育児のしかたは次の世代に受け継がれていく。チンパンジーにも同じことがいえるのだろうか。今後もマモルの成長を見続けたい。

この記事は, 岩波書店「科学」2016年9月号 Vol.86 No.9 連載ちびっこチンパンジー第177回『チンパンジーの核家族の子育て:最初の2年間の記録』の内容を転載したものです。