図: 生後7日目のニホンザルによる自発的微笑の表出直前。(右)自発的微笑が一番強くなった状態。

ほほえみの起源

公益財団法人日本モンキーセンターに生まれたチンパンジーの赤ちゃん,マモルの笑顔の話をした(本連載第177回参照)。笑顔(スマイルとラフ)は私たち人間にとってコミュニケーションに欠かせない。では,この笑顔はどのように進化してきたのだろうか。

チンパンジーも,遊び場面などで口をまるく開けた笑顔を見せる。人間とチンパンジーは約600万年前に共通祖先から枝分かれしたと考えられている。両者に共通だということは,笑顔の起源はさらにもっとさかのぼれるかもしれない。実際,共通祖先が3000万年前までさかのぼれるニホンザルを観察してみると,彼らも遊び場面ではよく笑顔を見せる。この笑顔は,人間の場合,じつは生まれたばかりの赤ちゃんにも,さらには胎児にもみられる。「自発的微笑」と呼ばれているものだ。では,生まれたばかりのニホンザルの赤ちゃんも自発的微笑を見せるのだろうか。

自発的微笑

自発的微笑とは,睡眠中に光や音などの刺激がなくても唇の端が上がる現象をさす。この自発的微笑は生まれた直後からみられ,後の笑顔と形が似ていることから,人間の笑顔の発達的起源と考えられてきた。ただし,「ほほえんで見える」というだけで,そのときの赤ちゃんの情動はわからない。人間だけでなくチンパンジーでも,この自発的微笑が生まれた直後から2ヵ月までみられる(本連載第5回参照)。そこで,定期的に健康診断や研究をおこなっていたニホンザルの赤ちゃんのようすをビデオに撮影した。まどろんでいるときの表情を注意深く観察し記録してみた。すると,生まれて間もない赤ちゃんザル7頭すべてで自発的微笑がみられた。彼らの自発的微笑は人間やチンパンジーと同じく,浅い眠りの状態である不規則睡眠中に生じた,閉じたまぶたの下の眼球が動くので,眠りが浅いとわかる。このようなまどろみはレム睡眠と呼ばれ,脳は活動している。人間でもニホンザルでも,生後1ヵ月までは,自発的微笑が頬の片側だけでみられることが多かった。

一方で,ニホンザルの自発的微笑は,人間やチンパンジーにくらべて持続時間が短いことがわかった。図にあるように,少しひきつったような印象を与えるものが多い。「生物の身体が大きいほど動作が遅くなる」という法則がある。ニホンザルの赤ちゃんの平均体重は530g,比較した人間の赤ちゃんは約2900gだ。その法則があてはまるのかもしれない。さらに,ほほえむ回数が多いのもニホンザルの特徴だ。ニホンザルはレム睡眠1時間中に約41回ほほえむ。チンパンジーではわずか0.2回だった。人間では平均0.4回だ。観察条件が異なるので正確な比較はできないが,その差はかなり大きい。

なぜ「ほほえむ」のか

自発的微笑は,養育者の育児に対する態度を変化させるためにある,と考えられている。人間の赤ちゃんが睡眠中に唇の端を上げる笑顔のような表情のかわいらしさが,養育者の積極的な育児を促す,というものだ。しかしこの説は,チンパンジーやニホンザルには当てはまらないかもしれない。彼らの赤ちゃんが示す「睡眠時の自発的微笑」は,その後に出現してくるプレイフェイスと呼ばれる「覚醒時の笑顔」とは明らかに形が異なる。プレイフェイスは,唇の端が上がる人間の笑顔(スマイルとラフ)とは異なり,口を楕円状にまるく開く形だ。わははっと人間が笑うときの声を消したものが,このプレイフェイスだ。チンパンジーやニホンザルの母親やおとなにとって,唇の端が上がる自発的微笑は,プレイフェイスとはおそらく認識されていないだろう。だとするとニホンザルの母親は,赤ちゃんの自発的微笑を見てもかわいいとは思わない。自発的微笑が育児を促すこともない。

ではなぜ,ニホンザルにも自発的微笑はあるのだろう。頬の筋肉の発達を促すためにあるのではないか。と私たちは考えている。自発的微笑に使う頬の筋肉は,人間では笑顔(スマイルとラフ)の表出に用いられるが,チンパンジーやニホンザルではこの頬の筋肉を「グリメイス」という表情に使う。グリメイスは,恐れや他者に対する服従を意味する表情だ。驚いてきゃっと人間がいうときの声を消したものが,このグリメイスという表情だ。,唇の端を上げて歯を見せる。この表情は,他者に対して服従を示し,他者との関係を平穏に保つ機能がある。服従を示すグリメイスの表情と,遊びのときのプレイフェイスの表情が,人間では収れんして友好的な意味をもつ笑顔(スマイルとラフ)になったと考えられている。

ニホンザルに自発的微笑がみられたという結果は,人間の赤ちゃんが自発的微笑を見せるという特徴が,少なくとも約3000万年前に分岐した共通祖先とも共有されていたことを示唆する。では他の動物ではどうなのだろう。レム睡眠が確認されている動物であれば自発的微笑がみられるのか。それとも「笑顔」という表情をもつ動物だけにみられる現象なのか。ぜひ読者のみなさんにも,身近な動物や人間のおとな,赤ちゃんの寝顔を観察してもらいたい。

論文は「プリマーテス」に掲載された。https://link.springer.com/article/10.1007/s10329-016-0558-7

この記事は, 岩波書店「科学」2016年10月号 Vol.86 No.10 連載ちびっこチンパンジー第178回『ニホンザルの赤ちゃんの自発的微笑』の内容を転載したものです。