チンパンジーのダウン症
図2: カナコ(右)とロマン(左)の同居の様子

カナコ

カナコは,京都大学熊本サンクチュアリで暮らすチンパンジーだ。1992年生まれの女性である。生まれた翌日の飼育日誌に、やや元気なくあまり声を出さない、という記述が残っている。生後9日目の飼育日誌にも、手足がダランとしている、とある。ただ、1歳まではそれ以外には特段に健康上の問題はなく育った。途中で母親が育児拒否したことにより、生後半年からヒトの手で育てられた。

1歳のころ、カナコの両目が白く濁りはじめた。眼科検査で、白内障が確認された。2歳の時、白内障の治療のため両目の手術をおこなったった。ただ、残念ながら術後の経過がよくなく、やがて視力が衰えていった。7歳のころには目が見えなくなった。

いまは大人のチンパンジーであるが,ほかのチンパンジーの女性に比べて体重が軽く,かなり小柄である。生後すぐには平均的なチンパンジーの赤ちゃんの体重だったが,5歳ころから体重の伸びが明らかに低下した。

22番染色体の異常

熊本サンクチュアリは、もとは民間会社のチンパンジー飼育施設だったところ、2011年に京都大学が引き取った(本連載第121回参照)。京都大学が運営するようになってから、いくつかの設備投資をおこなった。獣医学的な検査機器も徐々に新たにした。

カナコが22歳の時,定期健康診断をおこない、当時新しく買ったエコー装置で心臓の検査をおこなった。その結果、カナコの心臓に異常が見つかった。右心房と左心房を隔てるはずの壁に大きな穴が開いている、心房中隔欠損である。

かねてより、カナコの乳児期の白内障や小柄な体形は染色体異常によるものではないかと疑っていた。心臓の異常の発見がきっかけで,きちんと染色体の検査をしてみることにした。

22番染色体が3本ある染色体異常が見つかった(図1)。チンパンジーの場合、23本の常染色体と1つの性染色体がそれぞれ2本ずつ,合計48本あるのが正常である。染色体には,それぞれ番号がついている。カナコの場合、そのうち22番染色体が3本あるということだ。

チンパンジーの22番染色体は、ヒトの21番染色体に相同である。染色体の進化を調べた研究からわかったことである。そして、ヒトの場合,ヒト21番染色体が3本ある異常は,ダウン症を生じる。ヒトのダウン症では,知的発達障害と発達遅滞を主なものとして、その他いろいろな症状が見られる。

カナコに見られた乳児期白内障や心疾患も,ヒトのダウン症で高率に起こる症状である。カナコはその他、失明する前から、斜視や眼振、円錐角膜といった目の異常,歯の萌出異常があった。また,定量的な検査をしていないが,関節の可動域が通常より広いようである。これらいずれも,ヒトのダウン症で見られる特徴に一致する。つまり,症状のうえからも、カナコはヒトのダウン症に相当すると考えられる。

22番染色体が3本存在
図1:カナコの染色体。緑色蛍光の22番染色体が3本存在する。

よりよい生活に向けて

いまから50年ほど前,チンパンジー22番染色体が3本ある異常が世界で初めて発見され,サイエンス誌に報告された。ジャマという名の女の子だった。今回のカナコの例は,それに続いて2例目ということになる。ジャマは、体や行動の発達の遅れ、そして心疾患などの異常があった。そして,2歳を前にして亡くなった。

カナコは、大人になった今も熊本サンクチュアリに暮らしている。染色体異常は先天性のものであり、治すことはできない。できること,やるべきことは、カナコの生活の質をできるだけ高めることである。

ただ,カナコは目が見えないため,ほかのチンパンジーと社会生活を送るのは難しい。他者との社会交渉を適切におこなったり、ケンカが生じた際に逃げたりすることができないからだ。しかしできるだけカナコにも仲間のチンパンジーと接する機会を提供したい。そう考えて、ロマンという名の女性チンパンジーと,月に1回ほど定期的に同居させている。温和な性格からロマンをカナコの相手に選び、なかでも特にロマンの心身の状態が安定している時を見計らって、スタッフが同室して介在したうえで,カナコと一緒にしている。

カナコとロマンが一緒の時には、お互いに隣同士に座って,何をするわけでもなく、並んで時間を過ごすことが多い(図2)。ロマンからカナコに触れようとしたり、遊びに誘ったりすることはあるが,カナコの目が見えないこともあって、やりとりは成立しないのが実際である。それでもカナコは,ロマンとの同居を楽しみにしているようだ。ロマンとの同居が始まる物音がすると,グフグフグフという独特の音声を発する。この音声は,ほかに、おやつをもらうときや,スタッフが遊びに来た時に発する。何か喜んでいるときに発する音声といえる。これからも、カナコの喜びの音声がたくさん聞けるように、見守っていきたい。

本報告は、以下の論文として掲載されました。
Satoshi Hirata, Hirohisa Hirai, Etsuko Nogami, Naruki Morimura, Toshifumi Udono (2017) Chimpanzee Down syndrome: a case study of trisomy 22 in a captive chimpanzee. Primates, 58(2): 267-273, doi: 10.1007/s10329-017-0597-8
この記事は, 岩波書店「科学」2017年5月号 Vol.87 No.5 Page: 484-485 連載ちびっこチンパンジー第185回『チンパンジーのダウン症』の内容を転載したものです。