レオとの出会い

霊長類研究所を初めて訪れたのは2007年の大学1年生のときだ。一つのテレビモニターに,小さなゲージに寝ているチンパンジーが映っていた。それがレオとの初めての出会いだった。レオは1982年5月に霊長類研究所で生まれ,母親であるレイコ(本連載第154回参照)に育てられた。そのためチンパンジーらしい,立派な男性に育っていた。しかし2006年9月,彼が当時24歳のときに突然倒れた。急性横断性脊髄炎と診断され,首から下が麻痺し寝たきりになった。そんな状態だった彼を,テレビモニター越しに目にしたのだ。そして「レオのような障害があるチンパンジーの福祉ってなんだろう?」と思うようになった。

そんな寝たきりだったレオだが,しばらくすると腕を動かし,何かをつかもうとするようになった。そこでスタッフがゲージに棒やロープを取り付けると,それを掴み,起き上がろうとしはじめた。そこから腕の筋力が増し体を持ち上げ,腕の力だけで体重を支えられるまでに回復した。倒れてから約1年半後のことだった。(本連載第72回73回94回95回参照)。2009年にはゲージから広い部屋に移った。彼はブラキエーションをし,外の仲間の声に耳を傾け,大きな声や壁を叩く音で返事するまでになった。しかし股関節と膝関節が曲がったままで伸ばせない。今度はうまく歩けるようになってほしい。そこで障害が残っている下半身のリハビリテーションとして,認知課題を利用した歩行リハビリテーションが開始された(本連載第101回参照)。私もそのプログラムに参加した。観察の結果。リハビリテーションによってレオの移動距離が増加し,特に下半身を使った「歩行」が増えていた。

障害が残っている下半身を使ってうまく歩けるようにもなった。しかし次の目標がわからない,そのうちひとつの問いが聞こえてくるようになった—「レオはこのまま一人なの?」。

歩行リハビリテーションの合間にこちらを向くチンパンジーのレオ。天井にはロープを張り巡らせている。
図: 歩行リハビリテーションの合間にこちらを向くレオ。天井にはロープを張り巡らせている。

アキコの群れ復帰

名古屋市東山動植物園にアキコというチンパンジーが暮らしている。推定1978年アフリカ生まれの女性で,医学実験施設と高知県の動物園を経て2010年に東山動植物園に来園した。 2013年2月,彼女が左前腕の切断手術を受けたという知らせがあった。2012年末に外傷による感染症から筋肉の壊死が見つかり,その広がりを防ぐためだった。手術は成功し,その後の傷口や体力の回復も問題なかった。群れで暮らすチンパンジーのことを考えると,ずっと一人にしておくことは動物福祉の観点から望ましくない。そこで動物園では2013年5月に群れ復帰を試みた。

群れの構成は,祖父一父一息子と3世代の血縁のある男性3人,アキコを含む血縁のない女性4人の合計7人で,この群れ構成は極めて野生に近い。彼女の群れ復帰は,一人でいるよりも福祉が向上することを想定している。しかし身体的な不利だけでなく,群れのメンバーからの攻撃や回避などの社会的な排除の心配もあった。私は群れ復帰に立ち会い,チンパンジーたちの観察をおこなった。すると,群れのメンバーはあっさりと彼女を受け入れ,むしろ久しぶりの再会を喜んでいるかのように,遊びに誘う様子も多く見られた。そして面白いことに群れのメンバーは障害がある彼女を排除もしなければ,手助けもしない。片腕でロープを登りにくそうにしていても,誰も腕を掴んで引き上げたり後ろから押したりしない。またアキコ本人も何も気にしていない。自立している。このことから,チンパンジーの社会は,いい意味でも悪い意味でも差別のない社会のように思える。そして群れ復帰から4年,今もアキコは変わらず群れのメンバーと一緒に生活している。

群れ復帰を果たした左腕がないチンパンジーのアキコと群れのメンバー
図2: 群れ復帰を果たした左腕がないアキコ(一番左)と群れのメンバー

障害があるチンパンジーにとっての福祉とは?

チンパンジーの福祉を考える上で,「どれだけ野生の状態に近づけるか」という一つの評価ポイントがある。では障害をもったチンパンジーたちの場合はどうだろうか。

レオの場合,彼が暮らしている空間にロープを張り巡らしたり,歩行リハビリテーションを試みたり(図1)したことが,筋力や歩行の回復に効果的だったと思われる。このことから,彼らの欲求をうまく汲み取り,障害の回復を促す環境や空間作りが重要だろう。また,染色体異常により白内障を患っているカナコ(本連載185回参照)は,ロマンという女性と一緒に過ごせるようになった。そして彼女はその時間を楽しみにしているようだ。レオも,外からきこえる声に反応する。また,他のチンパンジーと格子越しに会う場面を設けると,毛づくろいに誘う。これらのことから,彼らは他者とのつながりも欲していることがわかる。さらに,アキコは群れに戻り,障害がなかった頃とほとんど変わらない生活を送っている(図2)。障害の経緯や一人でいた時間の長さ,元々の順位や男女の違いなどを考慮する必要はあるだろうが障害があるチンパンジーに対して他のメンバーが受け入れてくれる可能性は大いにある。

私たちが彼らの福祉に対して努力すべきことは,それぞれの「欲求や障害に見合った環境」を提供し,社会的に「一人にさせない」ことではないだろうか。障害があってもチンパンジーらしく生活したい,そして生活できる,ということをレオとアキコから学んだ。これからも彼らのために努力していきたい。

謝辞

京都大学霊長類研究所スタッフの皆様,名古屋市東山動植物園スタッフの皆様には大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

この記事は, 岩波書店「科学」2017年6月号 Vol.87 No.6 Page: 0578-0579 連載ちびっこチンパンジー第186回『障害があるチンパンジーの福祉を考える』の内容を転載したものです。