撮影: 落合知美 /Primate Research Institute, Kyoto University
図1: 娘のピコを抱くプチ

プチの生涯

2017年5月16日、チンパンジーのプチが死亡した。享年51歳だった。チンパンジーの寿命は約50年といわれているので大往生だ。プチは1966年に西アフリカでうまれたと推定されている。ゴンという男性チンパンジーとともに国内でペットとして飼育されていたが、1979年に霊長類研究所へやってきた。1982年にゴンとの人工授精でポポという娘を出産した。子育てを見たことがないので,赤ちゃんをうみおとした瞬間に大きな悲鳴をあげて逃げてしまった。ポポは人間に育てられ、プチは1983年に第二子となる娘のパンをうんだ。このときも、プチは赤ちゃんを残して逃げてしまった。

2003年にプチはピコという娘を出産した。育児経験があるレイコがピコをもっていたので、やはりプチは赤ちゃんをおいて逃げたのだろう。しばらく人間が世話をしてピコの体力の回復をまち,母親のプチと面会させた。プチは,やさしくピコの手をさわり、落ち着いていた。何度か同じ空間ですごさせたあと,ピコをプチに近づけると,ピコがプチのお腹の毛を握りくっついた。それ以来、プチはずっとピコを抱きっづけ、だんだん授乳もうまくできるようになった。ピコは下肢に障害があったものの、すっかり母親らしくなったプチは,大事にピコを育てた(図1)。残念ながら,ピコは多臓器不全のため2歳という若さで死んでしまった。

プチは,腸に植物繊維などがたまって治療をしたり、昨年秋に一時的な顔面麻痺の症状が出たりということはあったが,ゴンと娘のポポと孫のパルと同じ群れで元気にすごしていた(図2)。チンパンジー同士のけんかでは、プチはすぐに本気になって怒り、ゴンを味方につけて反撃しようとする。相性のあわない人にウンチを投げることもあったが、プチは基本的にやさしく穏やかな性格のチンパンジーだった。

撮影: 林美里 /Primate Research Institute, Kyoto University
図2: おばあさんになっても15mの高さにあるロープの上を手放しで歩くのが上手だった

プチが倒れた

5月15日の朝8時半、研究補助の人が朝ごはんをあげようと,チンパンジーたちの居室の前にいった。プチは、部屋の床に横たわり,呼びかけても反応がなかった。足がたまにぴくっと動くだけで、いびきのような音をたてて昏睡していた。急いで助けの人を呼んで、他のチンパンジーたちと離す作業をはじめた。ところが,ポポだけはプチのいる部屋からどうしても出ていかない。麻酔銃を見せても逃げない。仕方がないのでポポを麻酔銃で眠らせ,ほぼ発見から2時間後にようやくプチの治療を開始した。

プチの体に大きな外傷はなく、すぐに原因がわからない。CTで腹部を検査すると、腸に内容物がぎっしりつまって膨満している。MRIで頭部の検査をはじめて30分以上たった12時15分ころ,プチの呼吸が弱くなったために検査を中止した。チューブを挿管して気道を確保したが,心臓も止まっていて,口の中に血の気がなく真っ白で体も冷たい。心臓マッサージをすると,再び心臓が拍動をはじめた。だが,自発呼吸がもどらない。人工呼吸で酸素を入れ,体温を上げるために布団乾燥機を体に巻きつけた。心拍は安定していて、15時半ころにチンパンジー用の入院室にもどり治療をつづけた。2時間以上かけて合計26回の浣腸をした。葉っぱのような繊維質を含む緑色の便が大量に出てきた。この間に体温も回復した。

19時になって,小さな治療用ゲージにプチを移動した。プチは意識がもどらないまま、人工呼吸器と点滴につながれて夜をすごすことになった。20時から4時間交代で、獣医師を含む3名の夜間の看護当番をきめて解散した。23時ころには,不整脈や期外収縮が頻発したものの,その後は心拍も血圧も安定して朝を迎えた。

脳死判定と死

翌朝8時に、ヒトと同じ基準で瞳孔反射や顔面疼痛反射などの消失を獣医師が確認して,1回目の脳死判定が下された。それをもとに関係者によるミーティングをして、今後の方針を検討した。サルなどの実験動物では,予後が悪いと判断されるときは深く麻酔をして安楽死させる方法をとる。だが,プチはチンパンジーなのでヒトに近い方法をとりたい。ヒトと同じく6時間後に再び脳死と判断されたら,人工呼吸をやめて自然な死を待つことにした。一人のチンパンジーの死を無駄にしないためにも,病理解剖に必要な部分以外について死後の資試料提供の希望を募った。

14時までのあいだ,看護当番以外にもたくさんの人がプチのお見舞いにおとずれた。人工呼吸も手動になり,人々が交代で空気をプチの肺に送りつづけた。覚醒状態を示す脳波の値が高くなるのではと期待して,大声で呼びかけたり,他のチンパンジーの声を耳元で聞かせたりもした。しかし,プチの意識がもどることはなく,自発呼吸も復活しなかった。そして,14時5分に2回目の脳死判定が下された。

それから約1時間かけて、前日に中断したMRIによる頭部の検査をした。その後,約20人の関係者が見守るなか,軽く鎮痛の麻酔薬を投与して15時29分に人工呼吸をやめてチューブを外した。CT検査をしているあいだに,だんだんと心臓の拍動が少なくなってきた。検査が終了して、また皆がプチの周りに集まった。 15時42分,ついに心電図のモニターの値が0を表示した。獣医師が死亡宣告をして,全員がプチに黙祷をささげた。たくさんの近親者に看取られて,プチは安らかに最期を迎えた。

死後の病理解剖で,くも膜下出血が死因だと確認された。慢性の腸疾患もあったようだ。人間と同じ脳死判定をして,延命治療をつづけず,安楽殺もせず,プチは人間と同じ自然な死を迎えた。プチは,チンパンジーの死が人間の死と同等に扱われるべきだということを私たちに教えてくれた。

この記事は, 岩波書店「科学」2017年7月号 Vol.87 No.7 Page: 0640-0641 連載ちびっこチンパンジー第187回『プチの最期:チンパンジーの脳死』の内容を転載したものです。