提供:京都大学霊長類研究所/ Primate Research Institute, Kyoto University
図: (左)50周年記念式典で式辞を述べる湯本貴和所長,(右)1968年当時の京都大学霊長類研究所

1967年6月1日

6月にしては蒸し暑く感じる2017年6月1日,愛知県犬山市の木曽川沿いに建つホテルで,京都大学霊長類研究所(霊長研)の50周年を祝う記念式典がとりおこなわれた。かつて霊長研の教員でもあった山極寿一京都大学総長を始め,これまで霊長研にかかわってこられた200人を超える方々が出席した。

海の向こうのイギリスでビートルズが革命的なアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を発表した1967年6月1日,京都大学の附置研究所として,京都・吉田のキャンパス内の小さな仮事務所で霊長研は産声を上げた。これにさかのぼること3年前の1964年5月,日本学術会議会長の朝永振一郎は内閣総理大臣の池田勇人に「霊長類研究所(仮称)の設立について」という勧告を行っている。「霊長類研究所の重要性にかんがみ,その基礎的研究を行う総合的な研究所を速かに設置されたい。」日本に霊長類学がうまれて20年にも満たないこの時期にこのような勧告がでたということの重みを感じる。この冒頭文の背後には先輩たちの長年にわたる努力があったのだろう。ちなみに私はこの時まだ生後2ヵ月だった。

この勧告には,冒頭に続いてその理由が記されている。そこには,「広範なる人類学の各分野にわたって,その基礎をなす霊長類の心理学的,生態学的社会学的研究および医学,薬学,生理学等における実験動物としてのサルの生理学的,生化学的,遺伝学的研究を推進することの重要性にかんがみ,それらの研究を有機的・総合的に推進することのできる研究所設立の措置を早急に講じる必要がある」という一文がある。つまり,霊長研はその船出のときから,野外研究と医学研究,さらには心理学研究などが集う学際的な研究拠点をめざしていたのだ。形態学と神経生理学の研究部門から発足した霊長研は,愛知県犬山市の小高い丘に居を移し,1975年に9研究部門2附属施設という当初計画の陣容が整った。

全国共同利用研究所

霊長研の特徴の一つは,この研究所が全国共同利用型の附置研究所であるということだ。(現在は共同利用・共同研究拠点)。全国の研究者などへの大学の枠を越えた支援態勢を整備し,研究所のもつさまざまなリソースを利用できるようにした。この共同利用研究制度のもと,日本各地から,そして現在では世界各地から,研究者やその卵である大学院生たちが犬山にやってきて霊長類を対象とした多様な研究をすすめてきた。また,共同利用研究費の支援を得て日本各地でのニホンザルの調査研究がすすめられた。50周年にあたり,過去の資料に接する機会を得たが,現在,日本の霊長類学やその関連領域で研究を主導している方々のかなり多くが,霊長研の共同利用研究制度を利用していたことを改めて知った。先端的な研究から在野の研究者まですそ野の広い支援を続けてきた成果であるといえるだろう。

私の所属する思考言語分野とその前身である心理研究部門でも,数多くの共同利用研究が行われてきた。そのリストを見返してみると,非常におもしろい研究がいくつもなされてきたことがわかる。たとえば,ヒト以外の霊長類74種を対象に彼らの対象操作能力を比較した鳥越隆士さん(現・兵庫教育大学教授)の研究,ニホンザルの運動場内にパネルを押すと大豆がもらえる装置を設置し,パネル押し行動が群れ内に伝播していく過程を調べた樋口義治さん(現・愛知大学教授)の研究など,2017年現在の研究動向と直接的につながるものも多い。ひるがえって今を見渡したとき,はたして,30年40年たってもかたりつがれるような先見性あふれる研究がなされているだろうか。自省しつつ前に進んでいきたいと思う。

霊長研のチンパンジー

霊長研に初めてチンパンジーがやってきたのは1968年の7月のことだ。レイコと名づけられたこのチンパンジーを対象に二足歩行や学習の研究がスタートした。その後,アイ,アキラ,マリという,のちの「アイ・プロジェクト」に参加するチンパンジーたちがやってきた。最大で15人が暮らしていたが,ピコ(連載第48回),レイコ(連載第154回),そして霊長研が50周年を迎える半月前にプチが亡くなった(連載第187回)。霊長研で生まれた世代も2世代を重ね,今は,次の世代の誕生を目指して,人間もチンパンジーも奮闘をつづけているところだ。

この間,チンパンジーをとりまく環境は大きく変化してきた。高さ2mにも満たない檻の中で飼育されていたレイコひとりの時代から,緑に囲まれたなかに鉄製のタワーがそびえる運動場へ。そして今は,いつでもどこでもだれとでも課題に参加できる研究環境の構築を進めている(連載第141回)。また,生物医学研究にチンパンジーが使われることもなくなった(連載第128回)。アメリカでも,侵襲的な研究に参加していたチンパンジーのサンクチュアリ(終生飼育施設)への引っ越しが続いている。このような流れの中で,飼育下のチンパンジーの研究は今後どうあるべきか。私たちの前には非常に大きな問いかけがまちかまえている。

アイ・プロジェクトが始まって今年で40周年,チンパンジーの比較認知科学研究を推進する思考言語分野が霊長研に発足して来年で25周年,さらに大型類人猿の研究・福祉・保全をみつめつづけてきたSAGA(アフリカ・アジアに暮らす大型類人猿を支援する集い)は今年で20周年だ。過去をふりかえり,現在をみて,未来に思いをはせる。霊長類研究所もチンパンジー研究もそのような齢を迎えている。

この記事は, 岩波書店「科学」2017年8月号 Vol.87 No.8 Page: 0722-0723. 連載ちびっこチンパンジー第188回『霊長類研究所50周年:過去,現在,そして未来』の内容を転載したものです。