ジェーン・グドールさんとの出会い

ジェーン・グドールさんがコスモス国際賞を受賞した。グドールさんは,タンザニアのゴンベでの野生チンパンジーの研究を1960年に開始して今日に到る。野生チンパンジーの生態の解明を通じて人間の本性を描き出した。この賞は、1990年に大阪で開催された国際花と緑の博覧会を記念した賞(公益財団法人・国際花と緑の博覧会記念協会提供. 林良博選考専門委員会委員長)である。

グドールさんと京都大学の研究者とのご縁は深い。1960年9月の伊谷純一郎さんによる現地訪問を端緒として,60年に迫る歳月を重ねてきた。彼女の業績に対して京都大学(当時の尾池和夫総長)は、名誉博士号を2007年に授与している。これは,ノーベル賞受賞の利根川進さん以来の授与にあたる。こうした深い厚誼に鑑み,京都大学総長という職責にある山極壽一さんが、彼女をコスモス国際賞の受賞者として推薦した。

個人的には、1986年11月のシカゴ科学院での出会いにさかのぼる。彼女の主著である『野生チンパンジーの世界』が出版され,それを記念して世界中のチンパンジー研究者が初めて一堂に会した。同じタンザニアのマハレの野生チンパンジーを研究していた長谷川寿一さん(東京大学教授)・眞理子さん(総合研究大学院大学長)ご夫妻やわたしがたぶん一番若い部類の招待者だった。(前年にネイチャーに単著論文が掲載されたばかりで招聘されたのだろう。)

アイが数字や文字を理解できること、視力,色覚,概念形成などについて講演した。すると,最前列でこれを聴いていたグドールさんが最初に質問した。「ところで、アイはふだんどうしているの?」ちょうど同じ1986年の2月にすでにギニアでの野生チンパンジー研究を始めていたので、質問の意味がすぐにわかった。今でいう「環境エンリッチメント」のことをたずねているのだ。「なかまのチンパンジーたちと一緒に運動場で暮らしていて、名前を呼ぶと自分の意思で勉強部屋に来ます」と答えた。にっこりと微笑んでくれた。

グドールさんは1990年に京都賞を受賞した。1998年のSAGA(アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い)の発起人になってくれた。以後,毎年のように日本に来ていただいている。

図1: 霊長類研究所の屋外運動場にある野外ブースで,透明なアクリル越しに見つめあうジェーン・グドールさんとチンパンジーのアキラ

野生チンパンジーの研究

コスモス国際賞が称揚する学問のあり方「地球的視点における生命体相互の関係性や統合性の理解」を起点に考えると,彼女の貢献は3点に要約できるだろう。第1に野生チンパンジーの生態を世界で初めて解明した。シロアリ釣りに代表される道具の使用や製作を発見した。肉食や,食物の分配を報告した。また長期にわたる母子のきずなの重要性を発見した。人間とは何か。人間の本性とその進化的起源について、野生チンパンジー研究から実証的に示した。

第2に,長期継続研究という野外の動物研究のパラダイムを創出した。「個体識別した行動学的観察にもとづく長期野外研究」という研究パラダイムを確立するとともに,それを研究だけにとどめずに植林事業や環境教育活動といった実践活動と結合した。前者は、日本の霊長類学の初期の野生ニホンザル研究と同時期だが,後者の保全やさらには飼育下の福祉にまで手を伸ばした実践は他の研究者の追随を許さない独自の境地である。

ヒト以外の霊長類はおよそ400種類が知られているが,それを対象とした野外研究者は、全員が彼女の観察手法を踏襲しているといってよいだろう。個体に名前を与えて識別した長期継続観察である。その手法は,さらにゾウやキリンやライオンなど,その他の絶滅危惧の大型動物でも標準的な研究手法になっている。すなわち,後進の若手研究者に野外行動研究の模範を示したことになる。さらに研究と保全が不可分の一体であることを示した。研究だけの研究にとどめずにチンパンジーが住む森を保全するための植林事業や、地域住民の環境教育活動「タカリ」の活動をおこなった。つまり,研究を保全の実践活動と結合した点で、たんなる長期野外研究とは違うといえる。

図2: 11月7日の受賞記念京都大学講演会。松沢哲郎と山極壽一が前座をつとめてグドールさんが講演した。

ルーツアンドシューツ

第3に「ルーツアンドシューツ」(R&S)という環境教育プログラムを創出した。現在,世界140カ国以上で、10万団体を超える事業が活動している。若い人々が自発的に取り組む環境教育運動という特徴がある。人間・動物・環境という3つのキイワードからその草の根の活動を展開している。こまめに電気を消す、リサイクル製品を利用する,といった環境問題の啓発グループがある。象牙製品を買わない,使わない,といった絶滅危惧動物への配慮を訴える活動がある。また,地域社会を例にとると,家のまわりの道路や公園をきれいにする,木や草花を育てる,といった活動がある,つまり,ひとりひとりの行動が大切だという。ひとりひとりが変われば世界は変わっていくという。R&Sは自分たちで考えて実行するので特別なマニュアルはない。今から、自分の身近なところから始めようと呼びかける。彼女はそのR&S運動の創始者であり。その理論的支柱の役割を果たしている(https://www.rootsandshoots.org/ 参照)。

科学や研究が、もし実践を伴わないとしたら,それは無に等しいといえるだろう。ジェーン・グドールさんは1934年4月3日のおうまれなので,今年84歳になる。高齢にもかかわらず,今も,世界中をとびまわり,毎年約300回の講演をする。ジェーン・グドールさんの業績からみて,コスモス国際賞はその帽子に加わる一枚の羽根だが,それは彼女の全仕事の中核である環境問題への実践を称揚する,ひときわ光り輝く一枚になった。

この記事は, 岩波書店「科学」2018年1月号 Vol.88 No.1 Page: 0036-0037  連載ちびっこチンパンジー第193回『ジェーン・グドールのコスモス賞2017受賞』の内容を転載したものです。