地獄谷野猿公苑の温泉に入る野生のサル
地獄谷野猿公苑の温泉に入る野生のサル(萩原敏夫撮影)

志賀高原の冬のサル

最初の野外調査は,冬の志賀高原のサルだった。1977年2月14~19日,41年前のことだ。前年12月に霊長類研究所に就職したばかりの26歳。「暇そうだ」「体力がありそうだ」ということで,いろいろな分野の先輩が声をかけてくださった。死んだサルの解剖や,脳のホルマリン固定のお手伝いもした。志賀高原では,おとしオリでサルを捕まえて,身体の寸法を測り,採血を手伝った。とくに期待されたのは,岩菅山の向こうの魚野川源流にすむ未調査のサルの冬の生態の解明だ。

リーダーの和田一雄さんは北大山岳部出身。数人の仲間と一緒にスキーにシールをつけて登る。テントを張り,朝夕は雪の上の焚火で煮炊きした。火にかけてチンチンに熱い金属の鍋を和田さんは素手でひょいと持ち上げてみなを驚かせた。一面の深い雪である。サルの食べ物の果実はない。葉もない。ひたすら樹皮を食べていた。過酷な冬の暮らしの一端を覗き見た。

志賀高原には当時, A,B,Cという群れがいて,A群が餌付けされていた。1964年に開苑された地獄谷野猿公苑である。温泉につかるサルとして有名だ。同級の樋口義治さんとスキーをしがてらサルを見に行ったこともある。後楽館という温泉宿が1軒だけあってそこに泊った。露天風呂に入っていると,実際にサルも入りに来た。

温泉につかるサルは外国人客に人気だ。第4代公苑長の萩原敏夫さんによると,2017年度の入苑者数は約24万人,うち外国人が約9万5000人だという。この公苑は研究者にも門戸を開いており,京大や東大の研究者が利用してきた。

温泉に入るサル

わたしも地獄谷のA群を対象に後藤俊二さんや長谷川芳典さんと,「味覚嫌悪条件付け」の野外実験をしたことがある。サルはアーモンドが好きだ。食べたあと捕獲して塩化リチウム溶液を腹腔内注射する。気分が悪くなる。すると好物であるはずのアーモンドを嫌いにできる。和田さんと,雪の斜面に展開するサルの空間配置をC群で調べた。一見ばらばらに見えて,じつは中央部に子連れのメスたちがいて,オスは年齢が高くなるにつれて徐々に周辺に位置することがわかった。

志賀高原といえば,四日市大学教授の川中伊知郎さん(東大の大学院から京大のポスドク)の一連の研究がすばらしい。サルとの距離をつめてすぐそばで観察できるようにした。頃合いを見計らって,さっとスコッチテープでサルの毛づくろいの手元をなでる。それを顕微鏡で見て,しらみのたまごを取っているのだと実証した。

彼のパイプテストもおもしろい。直径10 cm,長さ1mの透明なアクリルパイプを餌場の岩に水平に固定する。真ん中にりんごを押し入れる。サルの手は入るが届かない。さてどうするか。棒で突いて押し出せれば正解だ。思わぬ進展があった。棒ではなく石を投げるサルが現れた。穴にめがけて勢いよく石を投げて向こう側に押し出す。さらに秀逸なのは子ザルを使う。生まれたての0歳児ならこの狭い穴に入れる。子ザルがりんごに手をかけた頃合いを見計らって,母ザルが子ザルの足を引っ張って筒から出す。子ザルはしっかりとりんごを握りしめていて,母がりんごを取り上げた。

菅平高原の温泉に入る野生のカモシカ
菅平高原の温泉に入る野生のカモシカ(山田富男撮影)

温泉に入るカモシカ

公益財団法人日本モンキーセンター発行の『プリマーテス』という国際学術誌がある。編集長を務めている。竹下さゆりさんらが,先日,興味深い研究を公表した。サルが温泉に入るとストレスが低減されることを,糞中のコルチゾルを測定することで証明した。

その論文が契機になって,なぜサルが温泉に入るようになったか,田中さんや萩原さんの手を借りて文献を調べてみた。原荘吾さんという長野鉄道の職員の方が。地元の後楽館の主人の竹節春枝さんらと協力して1962年の9月12日にりんごを使って餌付けに成功したのがきっかけだ。後楽館のあたりで定着するうち,露天風呂に入る子ザルたちが現れた。 62年末から翌年にかけての冬である。写真家の山田富男さんが最初期のようすを撮影し,1964年6月29日付の朝日新聞(長野版)で公表している。

山田さんは,カモシカが温泉に入るようすも2回撮影している。1回目は1995年3月2日付の毎日新聞掲載。2月4日午後4時半ころ,長野県高山村の温泉で,露天風呂から2mほど下の深さ40cmほどの落とし湯につかっていた。2回目は1998年1月27日の信濃毎日新聞掲載。1月24日午前1時過ぎから夜明けまで,菅平高原のホテルの露天風呂で,3頭のカモシカがかわるがわる入ったり出たりした。第1日撃者は渡辺泰造元インドネシア大使である。

地獄谷では,湯の温度が40度,深さ50cm,隔日で湯船の清掃をしている。こうした露天風呂の条件が整えば野生のサルやカモシカも湯に入るようだ。本槁を書くにあたって8年ぶりとなる3月26日に地獄谷野猿公苑を訪れた。カモシカを2頭見つけた。彼らも湯に入るかな? 長野県に鹿教湯という温泉があるが,シカやクマも温泉に入って疲れをいやすとしたらおもしろい。

文献
Matsuzawa, T. (2018) Hot-spring bathing of wild monkeys in Shiga-Heights: origin and propagation of a cultural behavior Primates 59: 209. doi: 10.1007/s10329-018-0661-z
この記事は, 岩波書店「科学」2018年6月号 Vol.88 No.6 Page: 0570-0571  連載ちびっこチンパンジー第198回『温泉に入るサルやカモシカ』の内容を転載したものです。