ポーランドの古都クラクフで開催された科学祭「コペルニクス・フェスティバル」で講演した。かつてこの街の大学で学んだ天文学者コペルニクスは、「コペルニクス的転回」という言葉に名を残している。物事を見るときの立ち位置を転換することで、まったく新しい見方が開けることを意味する。

身の回りを素朴に見ると、輝く太陽も夜の星々も、東から昇って西に沈む。地面は平らで、その周りを太陽や星々が巡っているように見える。

ところが天文学者たちは星の動きをつぶさに観測し、奇妙なことに気づいた。恒星は毎日ほぼ定時に現れ、規則正しく動いていくが、中に日々の動きが不規則な明るい星たちがある。戸惑うように動くので「惑星」と名付けられた。

精密な観測を積み重ねながら、コペルニクスやガリレオ、ケプラーらは、ひとつの大胆な仮説に到達した。地球は丸く、太陽の周りを回っているひとつの星である。そこから天を眺めると、同じ太陽を中心に回っている星々は不規則に動いて見え、それが惑星だ。地球は世界の中心にあるのではなく、太陽を巡る惑星の一つである—。 

自らの立ち位置を、世界の中心から数ある星の一つへと転換した「コペルニクス的転回」だ。

約400年後の今日、地動説は人々の知識の血肉になった。太陽が動いているという素朴な実感と科学的な真実は違う。「実感と事実は違う」という認識をわれわれが持ったという意味で、人類史上もっとも重要な科学的発見と言えるだろう。

生命科学の歴史においても、そうした「転回」が何度か起きている。その最大のものは、進化という概念の登場だ。

身の回りを素朴に見ると、猫と犬は違うものに見える。聖書にあるように、神様によって猫は猫、犬は犬として創造されたと信じられてきた。

しかしつぶさに観察すると、外見は違っていても、しばしば共通点がある。キリンの長い首も、人間の短い首も、頚椎の数は一緒だ。

今はいない動物の化石が見つかると、猫や犬と共通する要素がある。

博物学者リンネ以来の動物分類学の地道な蓄積のうえに、ダーウィンやウォーレスたちは19世紀、大胆な仮説に到達した。この地球上の生命は万古不変ではなく、時間とともに姿かたちを変えてていく、という見方である。天地創造説から進化論へ、いわば「ダーウィン的転回」だ。

それから約150年後の今日、進化論は人々の知識の血肉になりつつあるが、まだ強固ではない。米国では進化論を学校で教えることを禁じる州もある。しかし、進化に基づく人間観はもはやゆるきようがない。人間という存在は永遠ではない。生命の誕生以来、姿かたちを変えてきた生き物として今ここにある。

一番最近の転回は、約60年前に起きたDNAの発見である。1953年、ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造発見の論文がネイチャー誌に掲載され、進化の本体となる物質が明らかになった。

人間の全遺伝情報(ゲノム)を担っているのは、約30億の塩基対が並んだDNAである。この中に2万個あまりの遺伝子が書き込まれている。

2001年にヒトのゲノムが解読され、2005年にはチンパンジーのゲノムも判明した。両者のDNAの塩基の配列は98.8%まで同じで、わずか1.2%の違いしかない。同じ2005年に、イネのゲノムも解読された。

進化を頭で理解しても、わたしと桜の木が命としてつながっているという実感はない。だが生きとし生けるものの命は、DNAという物質によってつながっている。人間と動物、という二分法はもはや成り立たない。人間は動物であり、イネともつながる生物である。素朴な人間観から、「ゲノム的人間観」への転回だといえる。

ただし、その知識はまだ人々の間に定着する途上にある。今まさにわれわれの人間観が転回しようとしている。ゲノムという物質で命がつながっていることを、地動説と同じ、ごくあたりまえのこととして子どもたちが受け止める。そうした明日に向けて、チンパンジー研究を進めたい。

日経新聞連載新聞記事『人間観変える科学の「転回」』
出典:日経新聞2015年07月26日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第11回『人間観変える科学の「転回」』