Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University ポルトガルの野生の馬
写真:ポルトガルの野生の馬たち。よく見ると様々なコミュニケーションをしている。

一昨年の暮れ、パリの自然史博物館で講演したとき、ポルトガル系フランス人のカルロス・ペレイラさんに声をかけられた。ソルボンヌ大学の比較言語学の准教授で、人間以外の動物のコミュニケーションに関心があるという。

彼は、コンピューターを使ったチンパンジーの認知の研究を、馬にも応用できないだろうか、と言った。話してみて、馬の心と行動の研究の重要性を即座に確信した。

かつて馬は最速かつ最強の移動手段だった。約800年前のモンゴル帝国の隆盛は、馬を自在に使いこなしたことにある。ヨーロッパでは乗馬が今も人気のスポーツだ。だが、人の役に立つように一方的な調教や訓練をすることはあっても、馬がこの世界をどう見ているのか、という問いかけはこれまでなかった。

2009年に、ウマのゲノム(全遺伝情報)が解読された。2万323個の遺伝子のうち、なんと約4分の3が人間と同じだった。馬は何を考えているのか。この世界をどう見ているのか。互いにどのようなコミュニケーションをしているのか。チンパンジーと同じように、馬に鼻先でタッチパネルを操作させて、馬の認知について調べる実験を始めようと思った。

帰国してすぐ、生まれたての子馬を買った。競走馬ではないから高くない。京大の霊長類研究所のほど近くにある小さな牧場で、京大とフランスの研究者が共同で、子馬の訓練と勉強を始めた。そして、ぜひ自然の生態系のなかで自由に暮らす野生の馬の暮らしを見てみたいと思った。

わたしたちのチンパンジー研究の特徴は、野生と飼育下の両方で暮らしを見るという点にある。野生のチンパンジーが普段どんな場所で、どういう暮らしをしているのか。どういう仲間関係があるのか。それを見た上で、実験で何を調べるか考える。野外研究と実験研究は車の両輪で、双方が適度に同調し、はじめて心の理解に向けて前に進むことができる。

馬の認知の研究も、野生と飼育下の両方で進めようと考えた。ペレイラさんからポルトガル北部に稀有な生息地があると聞き、6月、ポルトガルの大学で講演した足で、北部のペネダ・ジェレシュ国立公園を訪れた。

3日間で3つの群れに出会った。8頭の群れ2つと、20頭の群れ1つである。スターリオンと呼ばれるおとなの雄1頭を中心に、雌と子どもたちで作るハーレム型の社会だった。岩山に住んで、草地を求めて遊動している。見ていて印象的なのは、いつも草を食べていることだ。休む時も立ったまま休む。

捕食者のオオカミがいる点が貴重だ。野生のオオカミと野生の馬が織りなす暮らしの野外調査ができる。実際、かじり取られた頭骨を発見した。

子どもの成長が速い。子馬たちは2歳半で思春期を迎え、3〜4歳で大人になっていく。チンパンジーは8歳で初潮が来て、12歳ころに初産になる。それに比べて、馬の生涯を進める時計の速さが印象的だった。

かすかなサインに目を凝らすと、視覚・聴覚・嗅覚・触覚を使って、馬同士がけっこう多様なコミュニケーションをしているようだ。一見ただ散っているようだが、明らかにスターリオンが全体に目配りし、離れたところにいるメスを皆のいる方向へと誘導している。牧羊犬のような派手な動きではなく、そこはかとない視線や動きで促している。ブルルッと響くような声をときどき出す。

若い雄が、雌の排尿を嗅いで歯茎を見せた。笑ったように見える「フレーメン」と呼ばれる表情だ。フェロモンを嗅いでいる時の顔である。首と首を交差するようにぶつけて、互いに愛咬するのは親愛のしぐさだ。

まとわりつくハエを、間断なく尻尾を揺らして追い払っている。休むときは鼻面を前の馬の尻尾につける。こうすると、鼻先にたかるハエを前の馬に追い払ってもらえる。馬の助け合いや、協力行動もありそうだ。

次の数年でまちがいなく、ユニークな馬の心の研究が飛躍的に進むだろう。そんな期待を胸に、帰途についた。

日経新聞連載新聞記事『野生馬に見た心の動き』
出典:日経新聞2015年08月02日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第12回『野生馬に見た心の動き』