シシャパンマ峰に登頂
1990年5月17日、ヒマラヤのシシャパンマ峰に登頂した京都大学学士山岳会隊の2人の女性隊員

8月11日は「山の日」だ。2014年に法律が制定され、来年から祝日になる。

今年は、エドワード・ウィンパーらがアルプスの名峰マッターホルンの初登頂に成功して150年目になる。1865年7月14日に頂上に立った。あまり知られていないが、帰路に仲間の一人が足を滑らせ、ロープで体をつないでいた計4人が転落死している。

私は京大山岳部のOBで作る京大学士山岳会の第14代会長をつとめている。第3代は仏文学者の桑原武夫さん、第4代は生態学者の今西錦司さんだ。高地での体の医学的変化を計測するなど、登山しながら学術もする団体である。

ヒマラヤには4度行った。1973年のヤルンカンを皮切りに、84年にカンチェンジュンガ縦走隊に参加した。89年にムスターグアタを登り、90年のシシャパンマ登頂では登山隊長をつとめた。

カンチェンジュンガから戻ったばかりのころ、学会の帰途にマッターホルンを登りに行った。ヘルンリ稜という、ウィンパーらが初登頂したときのルートだ。前日に取り付き点まで行き、未明に登り始めた。

単独行である。ロープはない。稜線の右側は北壁で、頂上近くは垂直に切り立っている。ルートは左側の斜面にとる。

登り始めてすぐにわかったが、すごい高度感である。自分の足元から下の氷河まで、1000メートルはゆうにある岸壁が切れ落ちている。「これをロープなしで行くのか」「まずいよなぁ」という場所が幾度も出てくる。

「京大助手、マッターホルンで滑落死」という新聞の小さな見出しが頭をよぎった。意を決し、途中で引き返した。

ヒマラヤの8000メートル級の山々の雪壁を毎日登っていると、次第に感覚がまひして高さには慣れてしまう。だが技術的に難しい。片手にピッケル、もう一方にそれを短くしたようなアイスバイルと呼ばれる道具をもち、靴にアイゼンを装着する。手足4本の先端から突き出た金属の爪を、硬い雪面に突き刺す。自分の全体重を3点で確保し、1点だけ上に移動させる。体は完全に宙に浮いた状態になる。

何より酸素が足りない。気圧は高度5000メートルにあるベースキャンプで約半分、8000メートルでは3分の1近い。頭痛や吐き気と戦いながら登っていると、一本のロープが心強かった。万が一のときは、ロープの他端を体につないで確保しているパートナーが止めてくれる。

実際に転落したことが2度ある。雪の越後魚沼三山を縦走し、「オカメノゾキ」という靴の幅すらない両側が切れ落ちた雪稜を渡っていたとき、バランスを崩して頭から落下した。またヒマラヤのムスターグアタの登頂路を偵察した際、雪に隠れていたクレバスを踏み破り、足から落ちて宙吊りになった。どちらもパートナーがロープで確保してくれて止まった。

ロープがあればいつも安全というわけではない。マッターホルンの例のように、一緒に落ちてしまう場合もある。そもそも山に安全はない。

昨年9月27日、御嶽山の噴火で58人の方が亡くなった。今も行方不明の方がいる。京大山岳部も、その少し前の9月5日に、北アルプスの谷で、笹瀬頌晋、早川鵬図のまだ若い両君を失った。痛ましくもあり、慙愧にたえない。

山岳部の合言葉は「パイオニアワーク」だ。「初登頂の精神」と訳す。まだだれも行っていない場所を開拓する。そのためには、オールラウンド&コンプリート、つまり何でもできて完璧であることが求められる。それが無理なことは自明なので、一歩ずつ、一つずつ自分のものにすべく努力するのだと教えられた。それは今の研究活動にも通じるものがある。

一人でできることは限られている。完璧にはなり得ないからこそ、ロープでつながって支え合う。助け合い励まし合って、ともに高みを目指す。

夏山の季節がまた巡ってきた。日々のトレーニングを欠かさず、天候に注意し、慎重な行動を心掛けていただきたい。

京大学士山岳会のヒマラヤ登山史はwww.aack.infoで見られる。

日経新聞連載新聞記事『初登頂の精神、研究に通ず』
出典:日経新聞2015年08月09日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第13回『初登頂の精神、研究に通ず』