Image Credit: Morgane Allanic /Primate Research Institute, Kyoto University ダナムバレーの野生オランウータン
ボルネオのダナムバレーに暮らす野生オランウータンの男性 (撮影:モルガンヌ・アラニック)

スマトラ島に続いて、ボルネオ島の野生のオランウータンを見に行った。指導している大学院生のリナータ・メンドーサさんが15ヵ月間の野外調査を終え、これから博士論文を書きあげる。その前に一度、一緒に調査地のようすを確認するのが目的だ。

マレーシアが領有する北部のサバ州に、ダナムバレーという自然保護区がある。ボルネオに残った最も美しい熱帯原生林だといえる。フタバガキ科が多くを占める木々の高さは60メートルほどに達し、樹冠を突き破ってそびえる独立木はさらに高い。

ここには、樹冠部をワイヤロープのつり橋でつないだスカイウォークが設けられており、樹上にすむ動物たちを見ることができる。ゆらゆら揺れるし、下をのぞくとけっこうな高度感がある。

5日間の滞在中、珍しく晴天が続いた。ヒルに悩まされることもなく、毎日オランウータンを見ることができた。

しかし何度経験しても、オランウータンの観察はつらい。第一に、木の高いところにいるので見えにくい。見上げていると首が痛いので、地面にあおむけに寝て、ザックを枕にして双眼鏡で見上げる。

第二に、動きが少ない。ほぼ完璧な菜食主義者で、果実や木の葉、樹皮をはいで食べるため、消化に時間を要するという事情もあるのだろう。動かないでじっとしていることが多い。

一方、チンパンジーは多動傾向のある人間の子どもに似ている。ちょこまか動き、いろいろなことをしてくれる。石器や棒などさまざまな道具を使うので見飽きない。

第三に、ほぼ単独生活なので一度に1人か(ヒト科なので、1人、2人と数える)、せいぜい子連れしか見ることができない。チンパンジーなら10人、20人という集団をつくる。出会えば挨拶をするし、抱き合うし、仲間同士で毛づくろいする。オランウータンにはそれがなく、時間の割に観察できる行動が少ない。

オランウータンの母子関係は密接だ。平均出産間隔は6~7年になる。つまり、それだけ長い期間をかけて育て上げてから、次の子を産む。

リナータの研究から、3歳くらいに発達の節目があることがわかった。樹上生活なので、赤ん坊は木から落ちないよう、母親にひたすらしがみついている。徐々に母親から離れ始めるが、3歳までは必ず、母親が手を伸ばせば届く距離にいる。3歳を超えて初めて、母親の手の届かないところまで行って戻ってくる。

今回、3歳の娘を連れた2組の母子が接近する場面に遭遇した。親同士は別の木にいて互いに近寄らないが、子ども同士が一緒に遊び始めた。木から落ちないように3本の手足でしっかりと枝を握り、1本だけ自由になる手か足で相手の体をくすぐる。声を立てない静かな遊びだ。

このほか5歳の男の子を連れた母親、フランジと呼ぶ頬のひだが出っ張ったおとなの男性、まだフランジの発達していなか若い男性を見た。合計8人だが、子連れ以外みなそれぞれが独立し、バラバラに暮らしている。

哺乳類は現在、約5500種類いる。共通祖先は地上に暮らす夜行性の小動物だ。いまのネズミのような暮らしをしていたと考えられている。

約6500万年前、中生代の終わりに恐竜が絶滅するとともに、いろいろな場所で多様な種に分かれ、生態系の中の様々な地位を獲得していった。「適応放散」と呼ばれる現象だ。

多くは地上で暮らしたが、海に潜ってイルカやクジラになったり、空を飛ぶコウモリになったものもいる。一部が樹上に暮らしの場所を求め、それがサルの仲間、すなわち霊長類になった。その中で地上に生活の場所を戻し、森を出てサバンナを遠くまで歩くようになったのが人間である。

オランウータンは森に残った。あまり知られていないが、樹上で暮らす最大の動物である。めったに声をたてない。互いに交わることが少ない。ひとり静かに暮らす森の哲人だ。

「わたしは、あなただったかもしれない」。じっと見続けていたら、ふとそんなふうに思った。

日経新聞連載新聞記事『ひっそり暮らす森の哲人』
出典:日経新聞2015年08月23日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第15回『ひっそり暮らす森の哲人』