法然院の阿弥陀如来像の前に供えられた木槿の散華(撮影:梶田真章氏)

京都東山の空気はしっとりと重く、夜の深まりとともに肌に冷気を感じた。日暮れて庭の緑は色を失い、裏山の森から木々の香りが漂ってきた。

6月最後の日曜日、法然院が開いた「夜の森の教室」で話をした。さまざまな分野の研究者が、研究や社会とのかかわりについて講演する。13年前に始まったときに第1回を担当し、以来毎年1回、チンパンジー研究の成果を話してきた。

教室の50回記念となった今年の講演では、あえて「ジェノサイド(大虐殺)の成り立ち」というテーマを選んだ。

チンパンジーの親子関係や、共感、利他行動などを40年近く見てきた。人間に一番近い種であるチンパンジーを知ることで、人間にみられる心のはたらきが生物進化の中でどのように生まれたかを解明するのが目的だ。

昨年、チンパンジーの新たな側面が浮かび上がった。野生チンパンジーを研究している世界中の研究チームが共同して、同胞殺しについてのデータをまとめたのだ。科学誌「ネイチャー」に発表した論文で、のべ428年の観察期間に152件の殺害が起きていると報告した。

だが、人間とは際立った違いがある。チンパンジーは殺しを命じない。自ら殺し、殺される。誰かを殺すように命じるのは、人間だけにみられる特徴だ。今回の研究は、これまでもっぱら宗教や人文学の文脈で語られ、分析されてきた人間の心の暗い側面を、科学として理解する端緒になるかもしれない。

会場となった方丈の隣の本堂には、本尊の阿弥陀如来像がある。住職の梶田真章さんが毎朝、そのときどきの花を供えている。阿弥陀様も結跏趺坐しながら拙い話をお聞きくださっているのだろうか。

人間は殺害を教唆するように進化した一方で、慈悲の心も獲得した。チンパンジーに慈悲の心はあるだろうか。

野生のチンパンジーは、群れの中で子殺しをする。女性がよその群れから子連れで移ってくると、子どもは往々にして男性たちに殺され、食べられてしまう。

子どもを失った女性には性周期が戻る。人間同様に毎月1回の排卵が起きて、やがて子どもを身ごもる。男性たちは、自分の子を作るためにほかの群れの男性の子を殺すのである。だが女性にとって、身ごもるのは我が子を殺した男性の子どもである。

けんかをしては仲直りする。それがチンパンジーの日常だ。だが、チンパンジーにも親子の関係がある。母親がわが子の死を忘れるはずはない。慈しみ育てたわが子を殺されて、許せるのだろうか。子を失った過去や苦しみと、どう向き合うのだろうか。

話が終わった後、質問に来た人々の中に、一人の高校生がいた。私は高校生を対象にチンパンジー研究の実習をしているが、それに参加し、京都市動物園でチンパンジーやゴリラの観察を続けている。

彼女は「チンパンジーに善悪の判断がつきますか?」と言った。聞かれて、はたと考えた。いったいどんな場面を用意すれば、チンパンジーが善悪を判断しているかどうかを調べる実験ができるだろう。そういう研究は可能だろうか。

死とは何か。悪とは何か。善とは何か。善悪の彼岸はあるのか。それらは、まだ科学が応えきれていない問いである。

人間の体が進化の産物であるのと同様に、心もまた進化の産物である。殺意も、善悪の判断も、さらには慈悲や許しや、宗教そのものでさえも、進化の産物であるはずだ。

人間はどうやって、そうした複雑な心の動きを生み出してきたのか。生物進化の歴史の中でその起源を調べることは、人間とは何かを理解するうえで新たな示唆を与えてくれるかもしれない。今は難しくとも、いずれは科学の俎上に載り、科学の言葉で語ることができるようになるだろう。

それはおそらく私ではなく、次の世代の研究者の課題であろう。質問してきた高校生が、将来、自ら研究してくれたらすばらしい。

「人間とは何か」という問いは、私が去った後も、次の世代へと受け継がれていく。チンパンジーやボノボに人間の心の起源を見いだす研究も続いていくだろう。そんなことを感じながら、夜の法然院を後にした。

日経新聞連載新聞記事『善悪判断科学で語れるか』
出典:日経新聞2015年08月30日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第16回『善悪判断科学で語れるか』