Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University
英語で学ぶ「比較認知科学」の集中講義を終えて。日本、米国、フランス、ブラジル、中国の学生が参加した

朝から晩まで3日間、英語で集中講義をした。京都大学では、教養・共通教育の140科目が英語で提供されており、その一環だ。この体験をきっかけに、国際化とは何かを考えてみた。

大学の国際化は、国の方針として打ち出されている。教育再生実行会議の提言「これからの大学教育の在り方について」によると、徹底した国際化を断行し、世界に伍して競う大学の教育環境をつくるという。

外国人留学生を30万人に増やす。外国人教員を積極採用し、海外大学と連携し、英語のみで卒業可能な学位課程を拡充する。今後10年で世界大学ランキングのトップ100に10校以上ランクインさせるのが目標だ。

世界大学ランキングというのは、各種の指標によって順位付けした大学の格付けである。いろいろなものがあるが、現状ではおおむね、東大と京大の2校だけが100位以内だ。

研究の質の評価や、教員一人当たりの論文被引用件数、教員と学生の比率などでいえば、日本は諸外国に負けていない。評価項目で見劣りするのは、外国人教員比率や外国人学生比率である。したがって手っ取り早く順位を上げるには、外国人を増やす、ということになる。

しかし、これは論理があわない。本来、まず高い研究水準があって、その結果として外国人比率が高くなるのだ。ハーバード大学にもケンブリッジ大学にも知己は多いが、彼らから「外国人比率を上げる」という方針を聞いたことがない。世界に伍した教育研究とは、そもそも国籍を問わないことが前提である。

身近な例として、京大の霊長類研究所を例にとる。先進国の中でサルがすんでいるのは日本だけで、霊長類学においては日本が世界に向けて成果を発信してきた。しかし近年、米英独に猛追されている。

そこで、日本の強みを生かした国際化が必要だと考えた。2009年に国際共同先端研究センターを設立し、通常の日本語の大学院入試と並行して、英語での外国人入試を春と秋に独自に実施することにした。

設立から6年余を経て、大学院生51名のうち13名、つまり約4分の1が外国人になった。欧米人学生が多いが、今秋から中国の北京大学の卒業生が加わる。

男女比は22対29で、女性が優位になった。20年前にはほぼ全員が日本人男性だったので、隔世の感がある。現在では外国人、そして女性が、霊長類学という学問の先端を担っている。

京都大学全体に目を向けると、学生は大学院生を含めて2万2566人。うち外国人留学生は、約100の国と地域から来た1881人、約8%だ。この10年間で学生数は変わらないが、外国人は約1.5倍になった。

50余りの学部と研究所の個々の努力の総和によって、徐々に伸びてきた。故国を離れ、わざわざ日本の大学で学んでもらうには、高い研究水準で惹きつける必要がある。学問が前に進んで、結果として国際化が進み、それがさらに学問の発展につながっている。

国際化のために必要なことを1つだけ挙げるとしたら、学生や教員を支援する職員の拡充と質の向上である。外国人が増えれば、文書を日本語だけで作り、回覧してはいけない。事務系・技術系職員の再教育と新卒採用基準の見直し、中途採用の促進が不可避だろう。

深刻なのは、雇用期間が限られた特定有期雇用の職員や、5年で解雇される非常勤職員が少なくないことだ。社会的に不安定な身分のまま、低い賃金で働いている。霊長類研究所も英語に堪能な事務職員を3名雇用しているが、有期雇用だ。彼らの働く意欲を引き出すキャリアパスを示して、無期限での雇用を進めることが、喫緊の課題だと思う。

どういう事業においても、将来への展望を定めたら、それを進める緻密な論理と、継続する意思が必要である。だが国の方針は論理において逆転しており、持続する意思も示していない。10年後のランキング、というスパンでしかものを考えていないとしたら、百年の計を誤りかねない。

日経新聞連載新聞記事『高水準の学問、国際化生む』
出典:日経新聞2015年09月06日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第17回『高水準の学問、国際化生む』