Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University 放し飼いのワオキツネザル
マダガスカル島で特異な進化を遂げたワオキツネザルが放し飼いになっている(愛知県犬山市の日本モンキーセンターで)

「犬猿の仲」という言葉があるが、私が所属する京都大学霊長類研究所は、愛知県犬山市にある。もっとも、犬山のイヌというのは、動物の犬ではなく、「小さい」という意味の接頭辞だ。植物の「イヌビワ」は、小さなビワの実をつける。濃尾平野が北にのびて尽きるあたりに、小山がつらなり始める。そこが「イヌヤマ」である。

京都大学から離れた犬山に、なぜ研究所があるのか。よく聞かれる質問だ。そこには日本の霊長類学研究が、民間企業によって育まれてきた歴史的な経緯がある。

日本の霊長類学を創始したのは、登山家としても知られる京大の生態学者、今西錦司である。国内外の未踏の地を探検し、その動植物を調査するという研究スタイルを築いた。戦後まもなく、調査に赴いた宮崎県でサルの群れに出合い、サルの研究にのめりこんだ。だが当時、サルの研究は学問の世界で市民権を得ておらず、研究の拠点となる場所がなかった。

後に名古屋鉄道(名鉄)の社長となる土川元夫は、沿線に行楽の目玉が欲しいと考えていた。犬山は名古屋から日帰りできる距離にある。戦国時代、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉が陣を張った国宝・犬山城という名所もある。だが、それだけでは寂しい。

先行事例として、京阪神急行電鉄(今の阪急電鉄)が、沿線の宝塚に歌劇団の劇場や遊園地を作っていた。日帰りの観光客を鉄道が運び、沿線は徐々に宅地化して、通勤圏になっていた。

今西と土川は京大の同窓である。学問の拠点が欲しい学者と、集客力を高めたい経営者の思惑が一致した。世界中のサル類を集めた動物園を作ろう。そして遊園地を併設して観光客を呼ぼう。

こうして1956年、犬山に、財団法人日本モンキーセンターができた。世界のサル類を一堂に展示する博物館であり、動物園だ。

今西ら京大の学者たちは、ここを拠点にアフリカ探検に出かけた。58年に実施した最初の調査の対象は野生ゴリラだった。彼らは調査だけでなく、ゴリラを輸入する役も担った。センターの最初の目玉になったのが、このゴリラだ。いまもその後継の、太郎という名の立派なゴリラがいる。

やがてサル類の研究が蓄積し、67年に霊長類研究所ができた。国立の研究所だが、それまで研究を担ってきた経緯から京大に置くことになった。すでにモンキーセンターがあるので、近くがよい。名鉄が土地を寄付して、隣接地に設立された。

研究の拠点は、しだいにモンキーセンターから霊長類研究所に移っていった。京大の研究者と名鉄の経営者が話し合い、2014年4月、日本モンキーセンターは、公益財団法人として再出発することになった。

現在、モンキーセンターの理事長は元京大総長の尾池和夫(現京都造形芸術大学学長)、所長はわたしが務めている。

博物館長は現京大総長の山極寿一。彼はモンキーセンターの研究員としてスタートし、ここを拠点に野生ゴリラの研究をした。日本には約90の動物園があるが、博物館として登録され、博士号を持つ学芸員がいるのは珍しい。動物園長は野生ボノボの研究者で、京大教授の伊谷原一だ。

日本モンキーセンターには、世界で一番というものが2つある。ひとつは、サル類の種類の豊富さである。全部で66種類にのぼるサル類がおり、あらゆる動物園の中で最も多い。生きたサル類だけでなく、骨や組織など約1万6千点の標本資料も所有している。

第2に、世界で最も古い英文の霊長類学誌である「プリマーテス」を、学術出版のシュプリンガー社から出している。

多言語での情報発信と教育には、特に力を入れている。ホームページは日本語のほか、英語、フランス語、ポルトガル語、中国語から表示を選べるようになっている。

再出発とともに、利益ではなく公益を追求していく立場になり、道はけわしい。社会の支援をいただきつつ、霊長類学の優れた知見を積み重ねていきたい。

日本モンキーセンターの詳細は www.japanmonkeycentre.org

日経新聞連載新聞記事『民間に育まれた霊長類学』
出典:日経新聞2015年09月20日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第19回『民間に育まれた霊長類学』