写真:仲良しの研究者たちがキングコングに襲われている映像を、チンパンジー(左上)に見せた 

たった一度しか見ていないドラマでも、われわれ人間は、主人公がいつどこで何をどうしたか記憶できる。人間に一番近い種であるチンパンジーやボノボは、ごほうびの食物を与えながら繰り返し学習させれば、文字などさまざまなものを記憶できることがわかっている。だが、果たして彼らは人間と同じように、一度しか見ていないものも記憶できるのだろうか?

この疑問に答えようと、平田聡さんと狩野文浩さんが、京都大学の野生動物研究センター熊本サンクチュアリでユニークな実験を試みた。

飼育しているチンパンジーとボノボそれぞれ6人に、モニターに映した約30秒の短いドラマを見せた。「キングコングの来襲」と「キングコングに逆襲」の2本だ。

あらすじはこうだ。「キングコングの来襲」は部屋に男女がいる。男性は狩野さんで、女性は山梨裕美さん。被験者であるチンパンジーやボノボたちが顔を知っている、仲良しの研究者である。

2人がバナナを食べようとすると、突然、警報が作動して部屋の明かりが点滅を始める。なんだ、なんだ? あたりを見回していると、部屋の奥にある入り口からキングコングが入ってきて、男性の狩野さんをぼこぼこにたたきのめし、バナナを奪って逃走する。

24時間後、まったく同じ映像を見てもらった。同時に、被験者たちがモニターのどこを見ているかアイトラッカーという装置で調べた。モニターの下から赤外線を出し、目の表面に当たって跳ね返ってくる光をとらえて視線の方向を検出する。

すると、明かりが点滅を始めたとたん、チンパンジーやボノボたちの視線が奥の入り口に移動した。明らかにキングコングが入ってくることを予期している。つまり、「そこから悪漢が出てくる」ことをおぼえているのである。

次に「キングコングに逆襲」を見せた。女性の山梨さんが、金網の向こうにいるキングコングと、金網ごしに遊んでいる。ところがキングコングが突然、金網の扉を開けて出てきて、山梨さんをぼこぼこにたたく。だが山梨さんは近くに置いてあった刀とハンマーに手を伸ばし、何とかハンマーを取り上げると、キングコングをぼこぼこにたたき返して撃退する。

やはり24時間後に、まったく同じ映像を見てもらった。ただし1カ所だけ変えた。刀とハンマーの場所を入れ替えたのである。

山梨さんが道具の方に手を伸ばすと、被験者たちの視線は、ハンマーの方に移動した。「山梨さんはハンマーを取る」ことをおぼえているのだ。ハンマーと刀の場所が入れ替わっているのにハンマーに視線を向けたというのは、場所ではなくて道具そのものを記憶している証拠である。

確認のため、山梨さんが刀を取る映像でも同様に実験した。すると2度目に映像を見たとき、被験者たちは正確に刀のほうに視線を向けた。

繰り返し学習させたわけではないし、正解があるわけでもない。文字通り一度しか見ていない場面の記憶を、視線の動きから探ることができた。

実験には小さな工夫が凝らされている。被験者たちにしっかりと画面を見てもらうため、チンパンジーたちは、彼らと親しい平田さんが後ろからそっと頭を支えてモニターに向けた。

ボノボたちはまだ親しくないので、画面の中央からストローを伸ばし、そこからジュースが飲めるようにした。ボノボがストローをくわえるので、結果的に頭が固定できる。

人間と同様に、チンパンジーもボノボも、一度見たものを忘れない。研究は9月に、カレント・バイオロジーという学術誌に掲載された。1

どうしてこんな研究を考え付いたの?と平田さんにたずねた。ご自宅で小さなお嬢さんに絵本を読み聞かせていたときのことだ。お話が山場にさしかかると、「次に主人公はこうするよ」と教えてくれる。そこから「見たことの記憶があるかどうか、先を予期する振る舞いによって検証できる」と思いついたのだという。

ところで、平田さんはドラマに顔を見せない。じつはキングコングの着ぐるみの中に入っていたそうだ。実験の詳細は http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/

日経新聞連載新聞記事『一度見たこと、忘れない』
出典:日経新聞2015年10月04日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第21回『一度見たこと、忘れない』