Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University チンパンジー赤ちゃん
写真:息子のアユム出産直後のアイ。チンパンジーの子はしがみつく力が弱く、母親が手を添えて抱く

一般にはあまり意識されていないが、生物学で「ヒト科」に分類されているのは、わたしたちヒトだけではない。ヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属の4属が「ヒト科」である。共通点は尻尾がないこと。尻尾がない大型のサル類がヒト科だ。

法令上もヒト科は4属である。動物愛護法や種の保存法の別表に「ヒト科チンパンジー属」などと明記されている。

ヒト科4属のうち、人間以外を「大型類人猿」と呼ぶ。この大型類人猿を守る活動がある。「アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い」、略称SAGA。ゴリラ研究の山極寿一さん(現京大総長)とチンパンジー研究のわたしがまだ若い教員だった1998年、研究者と一般市民に呼び掛けて作った。

きっかけは感染実験への懸念だ。人間とチンパンジーはほぼすべての病気が双方向に感染する。小児マヒ、肝炎、エイズ、エボラなどは、すべてチンパンジーもかかる。

当時、チンパンジーに肝炎ウイルスを感染させて遺伝子治療を試みる新たな動きがあり、それを阻止する運動としてサガを立ち上げた。いかに人間の福祉のためとはいえ、健康なチンパンジーを肝炎にして治療を探る研究が妥当だろうか。

日本は1980年にワシントン条約を批准した。野生のチンパンジーはもはや日本に入ってこない。絶滅危惧種であり、貴重な生物資源だ。運動はまずチンパンジーの戸籍作りから始めた。

幸いに人々の広い支援があって、感染実験は2007年に廃絶された。当時の尾池和夫京大総長の決断で、2008年に京大野生動物研究センターが創られ、製薬会社のチンパンジーはすべてこのセンターに寄付されて安寧な老後を送っている。

きょう現在、日本には321人のチンパンジーがいる(彼らはヒト属なので、何人と数えることにする)。現在、飼育下の大型類人猿が抱える問題は、テレビ番組やショーでの利用である。子育てがうまくできない母親から、子の命の優先という耳に心地よいことばで子を取り上げ、その子を使って商売している。

だが、母と子の関係を人間が断ち切ってはいけない。霊長類の子どもの成長には母親が必須だ。現在わたしが会長をしている国際霊長類学会は、人工保育と称する母子分離を禁じている。

子どもを抱かない場合は、抱くように母子だけでそっとしておく。もし飼育者と母親が親しいなら、子どもをひょいとその胸にしがみつかせると良い。子どもはしがみつくと離さないし、しがみつかれた母親は子を抱く。親には子を育てる権利があり、子は親に育てられる権利がある。

授乳しない、母乳がよく出ない、というときは、哺乳びんを2本用意して、母親に1本を見せて気を引きつつ、子に飲ませる方法が有効だ。

獣医師の判断で一時的に母子を隔離することはあっても、子の体力が回復したら必ず速やかに母親に戻す。飼育下でうまく子育てできないのは、親やなかまとの関係を経験してこなかった親に限られる。母子を引き離して育てると、子育てのできない親になる。負の連鎖を止めるため、人工保育はしてはならない。

この考え方は日本の動物園にも浸透してきた。ゴリラを飼育する上野、名古屋東山、京都の動物園では、父親、母親、子どもの家族で暮らすことを目標としている。母親が当初育てられなくても、飼育員がお乳を与えながら母親に戻す。チンパンジーを飼育する東山動物園では、野生に見られる祖父―父―息子という3世代の父系社会を実現することに成功した。

SAGAでは毎年、自然保護や動物福祉に関するシンポジウムを開く。今年は11月14、15日、場所は京都市動物園だ。ぜひ来場されたい。詳細はwww.saga-jp.org

日経新聞連載新聞記事『親と離せば子育て不能に』
出典:日経新聞2015年11月08日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第25回『親と離せば子育て不能に』