10月に韓国を訪れた。北にあるソウルから入り、西海岸の舒川(ソチョン)、南部の大邱(テグ)の大学などで講演する韓国縦断の旅である。

韓国は近くて遠い国だ。日本にはニホンザルがいて、台湾にはタイワンザルがいるが、朝鮮半島にチョウセンザルはいない。わたし自身、欧米の国際会議にはよく招かれるが、韓国に招かれたことは長らくなかった。

あるとき、国立ソウル大学の崔在天(チェ・ジェイチュン)さんがアジアの小型類人猿テナガザルに着目し、ジャワ島での研究を始めたいと接触してきた。

崔さんは動物の社会的行動を進化の観点から研究する社会生物学が専門だ。対象は主にアリやゴキブリ、クモ類だ。この分野の創始者である米国のエドワード・ウィルソン教授のもとで博士号を取得し、米の大学で教えていたが、40歳のときに故国に戻った。親孝行のためだそうだ。

崔さんとの交友がきっかけで、2009年夏、韓国環境生態学会に招かれ、初めて韓国を訪れた。最初は身構えた。韓国のことはほとんど知らない。学生時代に「三・一運動」の記録を読んだ程度である。そこで、抗日独立運動で知られる金九(キム・グ)の号を冠した「白凡記念館」という歴史博物館を最初に訪れ、日韓の近現代史を韓国側の視点で学んだ。

4度目の訪問となる今回の旅では、初めて列車を使った。ソウルの梨花女子大学を訪れた後、舒川の国立生態学研究所に向かう。開発が遅れている地方への経済支援の意図もあり、研究所は辺鄙な場所に作られている。

韓国新幹線の五松(オゾン)駅のホームで心細げに乗り換えの列車を待っていたら、「松沢先生ですか」と日本語で話しかけられた。聞けば名古屋大学で学位を取得した薬学研究者で、霊長類研究所にも出入りし、わたしを見知っていたという。親切に目的地まで案内していただき、両国のつながりを実感した。

生態学研究所は2013年に設立され、崔さんが初代所長に就任した。いわゆる研究所にはとどまらない。目玉は「エコリアム」と名付けられた展示だ。熱帯、温帯、地中海、南極の気候帯を再現した4つの巨大ドームがあり、それぞれ動植物が織りなす生態系が見られる。年間入場者数は100万人を超える。日本にはないタイプの施設だ。

500人規模の教職員がおり、独自の研究も進めている。生態学で韓国が一躍アジアの先端に出ようとしている。

思い切った施策の背景には、トップダウンの決断がある。韓国では、大統領が直接、国の大学や研究所の運営に関与する。生態学研究所は盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏の時代に構想され、李明博(イ・ミョンバク)氏が開館した。

国立研究所と国立大学の長はすべて大統領が任命する。形式ではない。必ず2人以上の候補者名簿は大統領のもとに届き、実際に選ぶという。

問題は、時の政権との距離が学問の場を左右することだ。現時点で3つの国立大学の学長が空席で、今回訪れた大邱の慶北大学もそのひとつだ。2人の候補が両方、大統領に拒否されたという。

最後の夜、韓国の友人の案内で大邱の旧市街を歩いた。金光石(キム・グァンソク)という歌手を記念した小路がある。31歳で自死した、日本でいえば尾崎豊のような存在だろうか。

韓国の男性はみな2年間の徴兵に服した経験がある。金さんには兵士が遠く離れた恋人を思う歌があった。徴兵があればそれを逃れる手段もある。オリンピックのメダルも学問の成果も、しばしばその理由になる。

夜の繁華街でろうそくをともして座り込み、演説に聴き入る大勢の人々がいた。いま歴史教科書を国定で統一しようという政府の動きがあり、それに反対する教員や学生の集いだった。

私がこうして韓国を見ているように、外から日本を見たらどんなふうに見えるだろうか。あらためて「外からの目」のたいせつさを思う。隣国を見つめることで日本のあるべき姿を考えさせられる旅だった。

日経新聞連載新聞記事『韓国から日本の姿を思う』
出典:日経新聞2015年11月22日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第27回『韓国から日本の姿を思う』