野生チンパンジーの社会でも、人間社会と同様、時として障害をもって生まれてくる子どもがいる。そんなとき母親や兄姉、なかまはどのように振る舞うのだろうか。

興味深い研究が、日本モンキーセンターが発行する英文学術誌『プリマーテス』で速報された。松本卓也、伊藤詞子、井上紗奈、中村美知夫さんのチームによる、タンザニアのマハレ国立公園からの報告だ。マハレは京都大学の故西田利貞さんらが開拓した調査地で、野生チンパンジーの継続的な調査を始めて今年で50年目になる。

母親は当時36歳のクリスティーナ。チンパンジーの女性は10代前半から約5年に1度、1人ずつ産んで、育て上げてから次の子を産む。それまでに5回出産していた。

6人目の子は2011年1月26日か27日に生まれた。女の子だった。同じ群れで同じ月に生まれた赤ちゃんと比較して発達の遅れが目立った。うつろな目をして、口が半開きになっている。母親にしっかりとしがみつけない。とくに足の力が弱い。左手指に奇形、腹部にヘルニアがある。

チンパンジーは生後6カ月になれば自分で座れる。母親のまわりを歩き回り、木にも登る。だがこの子はお座りができない。地面に置かれると仰向けに寝たままだ。自分で座れるようになったのは20カ月のときだ。

母親の左右の乳首に交互に吸いつくことができず、母親が顔のところに乳首を持っていくとやっと飲む。

女児の映像を、チンパンジーの出産100例以上に立ち会った獣医師と、野生チンパンジーの調査を続けている医師にみてもらった。すると、染色体異常による発達遅滞らしいと診断された。

生まれたばかりのチンパンジーの赤ちゃんはしがみつく力が弱いので、母親が片手を添えている。この子はなかなか自力でつかまれるようにならず、クリスティーナはしょっちゅう片手を添えていた。そのため木に登って果実や葉を取って食べるのに苦労していた。

15歳の兄と10歳の姉が同じ群れにいた。姉は障害をもつ妹の面倒をよくみた。抱く、運ぶ、遊ぶ、毛づくろいする。クリスティーナも、とくに果実などを採って食べるときにこの子を預けるようになった。姉に近づいたり、姉の腕をひっぱったりして「抱いて」というようにうながす。

子どもが生後1歳になるころは、母と姉が交代で面倒をみていた。時間にして母が6、姉が1くらいの割合だ。ただ姉も12年11月に出産すると、自分の赤ちゃんの世話に忙しく、妹の世話は見られなくなった。

この子は23カ月、つまりもうすぐ2歳というころまで生き延びた。姉が世話をやめてほどなく亡くなったことを考えると、姉の世話はとても重要だったのだろう。

一方、兄は障害を持つ妹の面倒をみることはなかった。ただ彼がクリスティーナに毛づくろいしているときに、一度だけ女児に触れるようすが観察された。

群れのなかまのチンパンジーは、障害を持つこの子もほかの子も同じように接した。のぞき込んだり、さわろうとする。とくに嫌悪や恐れは示さない。だがクリスティーナは、過去の出産のときと打って変わって、非血縁者にはこの子をけっして触らせなかった。

わたしも、霊長類研究所で2003年にプチ(当時37歳)が産んだ障害児ピコを見守ったことがある。コンピューター断層撮影装置(CT)などで見ると胸椎に奇形があり、両下肢に麻痺があった。

このときも、母親が抱いて育てた。ピコは重い貧血だった。飼育者との関係が良好で注射もさせてくれたので、母親のプチを麻酔して母から子に輸血し、プチの胸に戻すことを繰り返した。

ピコはやがて、重い障害を抱えながらも、細い腕を伸ばして格子を登るようになった。ロープにつかまり自分の力で移動する。声を出して笑い、踊るように体を揺らし、湧き出る生きるちからを実感させてくれた。

その後、慢性腎炎に急性の肺炎が重なり、2歳1カ月で亡くなった。

障害は生きることの妨げにはならない。小さな命がそう教えてくれた。

日経新聞連載新聞記事『障害児育てるチンパンジー』
出典:日経新聞2015年11月29日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第28回『障害児育てるチンパンジー』