マロニエの花咲くパリを歩いた。いつもは冬に来るので、マロニエは枯葉と丸い実しか見覚えがない。毎年12月から1月にかけて、西アフリカのギニアで野生チンパンジーの調査をしている。日本からの直行便はないので、かつてギニアを植民地支配していたフランスのパリ経由になる。

今回の目的は、パリにある国立自然史博物館で始まった展覧会「大型類人猿の小道」での講演と、新たにパリ第3大学の言語学者と始めた共同研究の打ち合わせだ。また、かつて私も客員研究員として滞在したエコール・ノルマル・シュペリエール(高等師範学校)の哲学者の友人を訪ね、旧交を温めた。

パリに来て思うのは、この国の学問の厚みだ。パリ大学はヨーロッパ最古の大学の一つで、その起源は12世紀にまでさかのぼる。日本でいえば平安時代である。エコール・ノルマルはフランス革命末期の1794年に設立された。

これらの大学には、そこかしこに学問の歴史が刻まれている。別名ソルボンヌ大学とも呼ばれるパリ大学の、カルチェ・ラタンにある昔ながらの校舎にいる友人を訪ねた時のことだ。ドアに「ビネー」と書かれた銘板が貼ってあった。理由を聞くと、「知能検査」というものを創案した19世紀の心理学者、アルフレッド・ビネーがかつて使っていた部屋だという。

エコール・ノルマルでわたしが滞在していた部屋の前の住人は、ポスト構造主義で知られるジャック・デリダだった。20世紀前半に膨大な著作を書き残し、若くして亡くなった哲学者シモーヌ・ベイユの名が残る部屋もあった。

現在は守衛所になっている小さな建物は、理学部長だった細菌学者ルイ・パスツールが研究に使っていたものだ。学校の寄宿舎がある通りの名はピエール・マリー・キュリー通り。ノーベル賞を2度受賞したポーランド生まれのキュリー夫人と、やはりノーベル賞を受賞した夫の名である。

展覧会は、この春から始まった。まる1年間続く長期の企画展で、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンという霊長類ヒト科の3属すべての生態から行動まで展示している。はく製も全身の骨格標本もそろっている。

これもまた、アフリカからインドシナ半島に及ぶ旧植民地から持ってきた、膨大な数の収集品があってこそ成り立つ展覧会であろう。植民地政策の是非は置くとして、その間に学問的知見を積み上げていったのは間違いない。

講演は、傘下の博物館のひとつであるミュゼー・ドゥ・ロム(人類博物館)の最上階でおこなった。この博物館は、エッフェル塔を真正面に望む高台にある。研究員しか入れない屋上にのぼると、目の前に塔が屹立していた。

見下ろすと、パリの街が一望できる。セーヌ川、ノートルダム、モンマルトルのサクレクール寺院。それを見ているうちに、「これは、かなわない」と思った。というより、たじろいだ、という表現が当たっている。

Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University パリの街

ふと、岩倉使節団のことを思った。明治4年から6年にかけて欧米をめぐった岩倉具視の一行のことである。岩倉たちがパリに来たとき、塔はまだなかった。しかし、西欧の文物にじかに触れたとき、わたしがエッフェル塔を間近に見ておぼえたのと同じ西洋に対する畏怖の念を、彼らもきっとおぼえただろう。

団長の岩倉をはじめ、大久保利通、木戸孝允、後に初代の総理大臣になる伊藤博文ら、明治の新政府の要人107人が1年10ヵ月にわたって日本を空けた。帰国後、彼らが西郷隆盛らの征韓論を退けたのは当然だろう。実際に米国・欧州を見れば、そんな戦争などしている場合ではないことは一目瞭然だ。

日本という国が鎖国を解いてから、まだ約150年しかたっていない。横書きの書物を縦書きにするところから始めて、まだまだ追いついていない部分がある。木にたとえて言うと、一見、高さはそう違わない。しかし根の深さと広がりが違う。学問という木を支えるには、歳月をかけた栄養が必要だと、パリは私たちに教えている。

日経新聞連載新聞記事『パリが教える学問の厚み』
出典:日経新聞2015年05月31日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第3回『パリが教える学問の厚み』